これらに関係するものはなんでしょう。
答えはブレーズ・パスカルです。
哲学者であり数学者であり物理学者であり幾何学者。
今回はパスカルの生涯についてです!
結論から言うと、
- 宗教的な街クレルモンに貴族として生まれた
- 母を早くに亡くし、父親の教育が始まった
- 16歳から20代にかけて理系の研究をしていた
- 30代からジャンセニスムに傾倒し、宗教家の道へ
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哲学者パスカルの生涯。パンセの作者の一生
パスカルの生地。宗教的な街クレルモンに貴族として生まれた
(現代フランスの地図。赤い丸で囲ったのがクレルモン・フェラン。今はクレルモンとモンフェランという街が合併してクレルモン・フェランとなっているらしい)
1095年、ウルバヌス2世はクレルモンで開かれた宗教会議で命令しました。
(ウルバヌス2世)
「貴方がたは東方に住む同胞に大至急援軍を送らなければならないということである。(中略)ペルシアの住民なるトルコ人(イスラム教徒)が彼ら(キリスト教徒)を攻撃し、(中略)多くの住民を殺しあるいは捕らえ、教会堂を破壊しつつ神の王国を荒らし回っているのである。(中略)私達の土地からあのいまいましい民族を根絶やしにするよう……(割愛)」
その次の年にキリスト教徒とイスラム教徒の宗教戦争である十字軍遠征が起こることになります。
そんな宗教的に意義が深い土地でパスカルは産声を上げました。
1623年6月19日のことです。
(クレルモンの街)
父エティエンヌは法服貴族で、母はお金持ちの商人の娘という裕福な家に生まれました。
法服貴族とは、貴族の位を大金で買った貴族のことです。
中世的な貴族であり近代的なブルジョワといったところでしょうか。哲学者デカルトも数学者フェルマーもそうです。
- 上流は責任に忙殺されてやる暇がない。
- 下流も労働に忙殺されてやる暇がない。
- しかし、中流は責任も労働もほどほどでそういったものの先駆者になりやすい。
西洋だけではありません。現に日本では『枕草子』も『源氏物語』も『和泉式部日記』も中流貴族の娘が書いたでしょう。
歴史には不思議とそういった法則があるのです。
パスカルの幼少期。妹が誕生し、母が亡くなる。母代わりの家政婦が雇われ、父親の教育が始まる。
パスカルが2歳の時に妹のジャクリーヌが生まれます。ジャクリーヌは後に詩人としての才能を発揮する神童となります。素晴らしい兄妹ですね。
しかし、幸せなことばかりではありません。この時、母を亡くしているのです。
1634年、パスカルが8歳の時にルイーズ・デルフォーという家政婦が雇われ、ルイーズはパスカルの母代わりとしてパスカル家に20年以上勤めます。
17世紀貴族の子供達はこの年になると家庭教師からラテン語を習います。ラテン語は当時の世界共通語ですから、現代でいうところの英語教育ですね。
父のエティエンヌは官僚でしたが、途中から出世闘争に嫌気がさし、退きました。そして、自分の子供達に自分の手で教育を施すことにしたのです。
天才パスカルの才能。16でパスカルの定理、18で計算機、20から真空の実験。
1639年。百年戦争の開始から丁度300年後となった年、16歳のパスカルは『円錐曲線試論』を発表しました。
(円錐曲線理論)
後にパスカルの定理と呼ばれるこの大発見はパスカルの名声を一気に高めることになります。
17歳の時、父が再び徴税職に就いて、パスカルは移動します。父のお手伝いをするのですが、パスカルは計算に困っている父のために計算機を発明します。
(計算機)
その後、20代を科学の実験にまみれて過ごします。真空の存在を明らかにする実験やパスカルの原理の発見などをします。
31になったパスカルに大事件が起こります。ジャンセニスムに傾倒し、神様の啓示を下着に縫い付ける。
ジャンセニスムへの批判の弁明として『プロヴァンシアル』を公開し、『キリスト教護教論』を書いている途中で寿命が来て、途中書きが『パンセ』となった
1654年11月、三十路になったパスカルは馬車の事故に遭いました。
馬が死ぬレベルの大事故でしたが、本人は無事でした。
パスカルはこの時、宗教に背を向けて科学をやっている自分を恥じたのでしょうか。それとも助かったのを神様のおかげだと思ったのでしょうか。
本格的に神様を信じる道へと─ジャンセニスム(ヤンセン主義)へと傾倒するのです。
ジャンセニスムとは何か。フランドル地方のカトリック神学者ヤンセンの理論で、神を絶対化し人間は無力と考える思想です。それが上流階級に広まった影響でパスカルも触れたのでしょう。
その後、11月23日の夜に神様からの啓示を受け、パスカルは正式に回心しました。
宗教に本気を出したパスカルはジャンセニスムに届いていた批判を払いのけるために『プロヴァンシアル』という書を執筆し、公開します。
この『プロヴァンシアル』が大きな論争を巻き起こし、禁書目録に入ります。
パスカルが次に考えたのが『キリスト教護教論』です。その構成などをメモに一気に書き出します。
しかし、パスカルは39の若さでこの本を完結させられずに亡くなります。
親族や知人はこぞってこのメモを集めて、一冊の本にします。それが『パンセ』です。
以上が、パスカルの生涯でした。
まとめると
- 宗教的な街クレルモンに貴族として生まれた
- 母を早くに亡くし、父親の教育が始まった
- 16歳から20代にかけて理系の研究をしていた
- 30代からジャンセニスムに傾倒し、宗教家の道へ
次回はパスカルのエピソードです。乞うご期待!
パスカルの生涯がわかるおすすめ本。入門・解説書
1・パンセ 岩波文庫
下巻はパスカルが回心した時の文章とパンセの内容をジャンルでまとめたアンソロジーなどが入っている。パスカル好きは必携の本。
詳細:岩波文庫の青帯(哲学思想・言語)のおすすめは?絶版含めた一覧リストと評価・レビュー付き
2・100分de名著 パスカル パンセ
1回25分、全4回で世界の名著を解説していくNHKの番組『100分de名著』のテキスト。入門書だけどかなり詳しく書いてあって、記事を書くときに何度も助けられた。
これからズラーっと参考文献を提示していくけど「こんなに読めねぇよ!」って人はもうこれ1冊だけ読んで。パスカルは大体語れるようになる。
3・人類の知的遺産34 パスカル
ニートンさんが前に大きな表を作ってそれぞれのコメントを書いていた『人類の知的遺産シリーズ』。
その中ではパスカルは高評価にあったけれども、本当にその通り。これはもはや宝。生涯も思想も詳しく書いてある。
哲学にまつわる小説を書いてらっしゃる白兎扇一〈@WhiteRabbit1900〉さんに書いて頂きました