杜甫の性格と経歴は?漢詩の代表作品や生い立ちのエピソードが面白い

盛唐時代の大詩人・杜甫。

現在では「詩聖」と称され、同時代の大詩人・李白と共に中国文学史上最高の詩人です。

詩人はゆったりとした優雅な人生を送ったイメージがありますが、杜甫は不遇な人生を送っています。

そんな杜甫の

  • 生い立ち
  • 経歴と代表作
  • 性格

 

を紹介します!

こちらを読めば、杜甫の生い立ち・経歴や作品・性格や人となりが分かって、作品もさらに楽しめるようになります。ぜひご覧ください。

 

杜甫の生い立ちは?

杜甫は712~770年、盛唐時代を生きた詩人です。

日本で言うと奈良時代にあたります。

  • 父は三国時代から西晋の武将の家系であると言われています。
  • 祖父は初唐の宮廷詩人である杜審言です。
  • 杜甫の詩の才能はおじいちゃん譲りだったんですね。

 

杜甫が初めて詩作をしたのはなんと6歳の時!!

15歳では、洛陽の文人仲間に入りました。

若くから詩に親しんでいたわけです。

 

20歳の頃、周りの人たちは職に就いている年齢ですが、杜甫は斉・呉・越を周遊して回ります。

今で言う、ニート生活ですね。

若い頃にしか楽しめないことを楽しんでいたのでしょう。

 

24歳の時には、科挙試験を受けますが、落第。

国家公務員試験のようなものを受けますが、落ちてしまいました。

残念。

そしてまた、放浪の旅にでかけました。

 

30歳で結婚した杜甫は、洛陽に身を落ちつけました。

  • ここで、運命的な出会いを果たします。
  • 漢詩界の大スターである李白と遭遇するのです。
  • この時、杜甫は33歳、李白は44歳でした。

 

一回り近く年の離れた二人でしたが、いつの間にか意気投合。

ここから1年半ほどの短い期間ですが、交友を結ぶことになりました。

  • すでに詩の世界で名を馳せていた李白との交友関係は、杜甫にとって、大きな学びの機会でした。
  • 共に旅をし、酒を酌み交わし、詩について語り合い・・・
  • とても有意義な時間であったにちがいありません。

 

さて、杜甫は家族のある身で、いつまでも放浪生活をしているわけにはいきません。

長安で科挙の一芸入試が行われると聞き、試験を受けに行きましたが、これもまた不合格。

さすがに、また放浪へ・・・というわけにはいきませんので、就職活動を始めました。

  • 名士の家に詩を詠みに行く
  • 朝廷に自分の詩を売り込みに行く

 

いろんなことを頑張ってみますが、なかなか職に就くことはできませんでした。

  • もちろん生活は困窮を極めていきます。
  • 妻、子ども5人をかかえる杜甫は、妻子を妻の親戚に預けてまで就職活動を続けました。
  • そしてようやく10年間の就職活動が実を結び、下っ端ではありますが、中央官吏の職を得ることができました。

 

いや~長かった。10年ですよ。

妻子もよく耐えてくれました。

ここから、やっと杜甫の詩の才能が開花してきますので、次の見出しに移りますね!

 

杜甫の経歴と漢詩の代表作品

10年の辛く苦しい就職活動を経て、やっと手に入れた仕事。

  • しかし、運命は皮肉なもので、「安禄山の乱」によって、仕事を失ってしまいました。
  • 杜甫の仕事どころか、王朝の存続を脅かすほどの戦乱でした。
  • この時、家族を北方に疎開させ、杜甫は危険を冒して新たな皇帝・粛宗のもとに走りました。

 

職を求めるためですね。

しかし、その道すがら、反乱軍の捕虜になってしまいました。

 

長安にて幽閉生活を送っていた時に詠んだ詩が、教科書にもよく載っている「春望」です。

  • 就職活動中にも多くの詩を詠んでいますが、この幽閉生活で詠んだ詩が後世で評価されることになるとは、何とも言えない気持ちになります。
  • 彼は、自然をテーマとした美しい詩よりも、人々の苦労や政治への批判を詠んだ詩の方が得意でした。
  • また、「月夜」という家族を思った詩も詠んでおり、これもまた有名です。

 

家族を思う気持ちが人一倍強かった杜甫ゆえの作品です。

なんとか脱出して、粛宗に会い、側仕えの職を授かりましたが、結局1年足らずで粛宗の怒りを買い左遷。

左遷先で飢饉に見舞われてしまい、辞職し、秦州へと移り住みました。

この頃の杜甫一家は、

  • どんぐり
  • 山芋

 

などを食べてなんとか食いつないでいるほど、貧しい生活をしていました。

  • 職が無い上に、飢饉まで・・・かなり困窮した生活だったことが分かりますよね。
  • 杜甫たちのように苦しい生活を強いられている人々は数多くいました。
  • 当時の様子をリアルに詠んだ詩が「石壕吏」です。

 

そんな杜甫にも、少しの安らぎの時はありました。

  • 成都という地に草堂を営み、ここで数年間、杜甫一家は落ち着いた生活を送ることができました。
  • しかし、その時間もつかの間のことで、一家はまた移住を強いられました。
  • 長江を下り、またしても放浪生活を送ることになりました。

 

この頃には、もう官職への望みもなくなっており、詩作に打ち込んでいました。

  • 2年間で400首も詩を作ったそうですよ。
  • この頃の代表作は「岳陽楼に登る」が有名ですかね。
  • これもまた、教科書でよくお目にかかる作品です。

 

結局、杜甫は船旅の途中、59歳で人生を終えることとなりました。

 

59年間の人生の多くが目の前の生活に困窮する時間でした。

そんな杜甫が残した代表作を3首紹介します。

 

杜甫の漢詩の代表作1.「春望」

国破山河在(国破れて 山河在り)

城春草木深(城春にして 草木深し)

感時花濺涙(時に感じては 花にも涙を濺ぎ)

恨別鳥驚心(別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす)

烽火連三月(烽火 三月に連なり)

家書抵万金(家書 万金に抵る )

白頭掻更短(白頭掻けば 更に短く)

渾欲不勝簪(渾て簪に 勝えざらんと欲す)

 

【現代語訳】

国の都の長安は戦争で破壊されてしまったが、山や河は昔のままである。

町にも春が来て、草木は深く生い茂っている。

このような戦乱の時世を思えば、花を見ても涙が落ちる。

家族との別れを悲しんでは、鳥の鳴き声を聞いても心が痛む。

戦乱ののろし火は、もう三ヶ月も続いていて、家族からの手紙は万金にも値する。

白髪頭を掻けば、髪は更に薄くなって、簪(かんざし)も挿せなくなりそうだ。

ウィキブックス 中学校国語 漢文/春望より引用)

 

「春望」は安禄山の乱で、反乱軍によって幽閉された際に詠んだ詩です。

自然は変わらないのに、世の中は戦火で変わり果てている様子を対比して詠んでいます。

家族と離れ離れの生活を強いられ、不安に駆られている様子がありありと浮かんできますよね。

 

杜甫の漢詩の代表作2.「石壕吏」

暮投石壕邨  (暮に投ず 石壕の邨) 

有吏夜促人  (吏有りて夜に人を促う)

老翁踰牆走  (老翁 牆を踰えて走り)

老婦出門看  (老婦 門を出でて看る)

吏呼一何怒  (吏の呼ぶこと 一に何ぞ怒れる)

婦啼一何苦  (婦の啼くこと 一に何ぞ苦しめる)

聽婦前致詞  (婦の前みて詞を致すを聴くに)

三男鄴城戍  (三男は鄴城の戍り)

一男附書至  (一男 書を附して至り)

二男新戰死  (二男 新たに戦死す)

存者且偸生  (存する者は且く生を偸み)

死者長已矣  (死せるものは長しえに已んぬ)

室中更無人  (室中 更に人無く)

惟有乳下孫  (惟だ乳下の孫のみ有り)

孫有母未去  (孫に母の未だ去らざる有るも)

出入無完裙  (出入に完裙無し)

老嫗力雖衰  (老嫗 力衰えたりと雖ども)

請從吏夜歸  (請う 吏に従いて夜帰せん)

急應河陽役  (急に河陽の役に応ぜば)

猶得備晨炊  (猶お晨炊に備うるを得んと)

夜久語聲絶  (夜久しくして語声絶え)

如聞泣幽咽  (泣きて幽咽するを聞くが如し)

天明登前途  (天明 前途に登り)

獨與老翁別  (独り老翁と別る)

 

【現代語訳】

日暮れ時、石壕の村に投宿すると、

役人が、徴発で人をつかまえにやってきた。

その宿のおじいさんは、土塀を踰こえて逃げ去り、

おばあさんが、戸口を出て役人に応対している。

役人のどなり声の何と怒りにみちていることか。

老婆の泣き声の何と苦しそうなことか。

老婆はやがて役人の前にすすみ出て、申しひらきをする。それを聞くと、

「私の三人の息子たちは、すべて鄴城の守備についています。

一人の息子が手紙をことづけてよこし、その手紙が着きましたが、

二人の息子は最近、戦死してしまいました。

いまいる者も、しばらくの間生きているというだけのこと

死んでしまった者は、もう永遠におしまいです。

家の中にはもうだれもいません。

ただ、まだ乳離れしていない孫がいるだけです。

孫には、夫の戦死後もまだこの家を去らずにいる母がおりますが、

家の出入りに、満足にはけるスカートも無いありさまです。

この老婆は、年をとり、力は衰えておりますが、

どうぞお役人に従って、今夜にも参りましょう。

いそいで河陽の労役につくことができれば、

これでもまだ、朝の炊事の支度ぐらいはできるでしょう」と。

夜もすっかり更ふけて、話し声もとだえ、かすかにむせび泣くのが聞こえてきたようだ。

夜明け方に、私はまた旅路についたが、

ただ一人、おじいさんと別れをしただけだった。

『漢詩鑑賞事典』講談社学術文庫 石川忠久編より引用

 

どうですか?

これを読んだ時、私は胸が締め付けられる思いでした。

  • 働き手の男は皆、駆り出されている状態。
  • それでもまだ働き手を駆り出そうと一軒一軒、役人が訪ねて回っていたんですね。
  • おじいさんを取られるよりは、自分が行く方が家族のためにもなると身を差し出したおばあさん。

 

これが民衆たちのリアルな姿でした。

  • 「石壕吏」を詠んだ時、杜甫も地方役人でした。
  • 杜甫自身も、人を駆り出す仕事をしなければならないこともあったかもしれません。
  • このような不条理を詩に残こしておかねばならないという強い気持ちが働いたのでしょう。

 

絶句や律詩といった型には収まりきらなかったんですね。

古体詩と呼ばれる、不定形で詠まれています。

 

杜甫の漢詩の代表作3.「登岳陽楼」

昔聞洞庭水(昔聞く 洞庭の水)

今上岳陽楼(今上る 岳陽楼)

呉楚東南坼(呉楚 東南に坼け)

乾坤日夜浮(乾坤 日夜浮かぶ)

親朋無一字(親朋 一字無く)

老病有孤舟(老病 孤舟有り)

戎馬関山北(戎馬 関山の北)

憑軒涕泗流(軒に憑って 涕泗流る )

 

【現代語訳】

昔からうわさに聞いていて行ってみたいと思っていた洞庭湖。

今、まさに岳陽楼に登って、洞庭湖を見渡している。

呉と楚がこの洞庭湖によって東と南に引き裂かれ、

天と地が、水面に日夜浮かんでいる。

親戚や親友からの手紙も一切来ず。

老いて病気がちな私には、一艘の船があるだけである。

故郷がある国境にある山の北側では、未だに戦いが続いている。

それを思いながら手すりに寄りかかっていると、涙がとめどなくあふれてくる。

 

「岳陽楼に登る」は、杜甫がずっと行きたいと思っていた洞庭湖に訪れた時に詠んだ詩です。

現代語訳は私がしてみたので、少し不格好ですが、お許しを。

  • 晩年に詠んだ詩ですが、今までの詩とは少し雰囲気が変わったのにお気づきでしょうか?
  • 今までは、戦乱を嘆いたり、民衆の苦しみをリアルに描いたりていました。
  • しかし、杜甫の晩年の詩にはそういうテーマは少なくなっています。

 

この詩には、死が近づいていることへの寂しさや、故郷への想いが詠み込まれていますよね。

3つの作品を紹介しました。

杜甫は、安禄山の乱以降の律詩に秀作が多いと言われています。

 

【エピソード】杜甫の性格がわかる逸話

杜甫は正義感の強い人でした。

就職活動を10年間も続けていたり、戦乱の中、粛宗のもとに駆け付けたりしていましたよね。

  • ただ家族を養うために就職したいのであれば、ここまでする必要はありません。
  • 杜甫は、政治や社会に大きな関心を抱いていました。
  • その中で、動乱の世を嘆き、苦しむ民衆に深い同情を寄せていました

 

そこで、少しでも皇帝に近いところの職に就いて、なんとか世の中を良くしたい!

こんな思いを抱いていたのです。

当時は花鳥風月、自然美を詠みこむ詩が多かった時代。

  • そんな中で、杜甫は、当時としては珍しい「社会派」な詩を数多く残しています。
  • 社会や政治の矛盾を積極的に詩に詠み込み、「詩史(詩による歴史)」と呼ばれる新しいジャンルを生み出しました。
  • 天才詩人・李白が「詩仙」と称されているのに対して、杜甫は「詩聖」と呼ばれています

 

それほどまでに評価される理由は、杜甫が自分の正義感を実現するために、努力に努力を重ねた人生がしっかりと詩に詠み込まれているからでしょう。

 

まとめ 杜甫はどんな人?分かりやすいおすすめ作品

杜甫の性格と経歴・生い立ちと面白いエピソードについて紹介しました。

簡単にまとめておきましょう。

  • 杜甫は「詩聖」と呼ばれる盛唐時代の大詩人
  • 杜甫はなんとしてでも中央官吏に就いて世の中を変えたかった
  • 杜甫は律詩が得意だった
  • 杜甫の詩は「詩史」と呼ばれているものもある
  • 杜甫は政治批判や人々のリアルな生活を詩のテーマにした

 

杜甫の詩を上で3つ紹介しましたが、その他にも興味がある人は、

  • 『杜甫詩選』黒川洋一編集 岩波文庫

 

なんていかがでしょうか。

詩が年代順に並んでいるので、杜甫の生涯と合わせながら読むと、より詩を味わうことができますよ!

以上、「杜甫の性格と経歴・生い立ちと面白いエピソード」でした。

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