夭逝の詩人中原中也をご存知ですか?
私は「詩を書きながら、若くして死んでしまった人」というなんだか儚いイメージしかありませんでした。
しかし、調べてみると、びっくり仰天!!
イメージを覆すエピソードしか出てきませんでした。
そんな中原中也の
- 生い立ち
- 経歴
- 人柄と性格
- 死因
を詳しく見ていこうと思います!
ポイントはこちら
- 中原中也は医者の家に生まれるも、中学生の頃から創作活動に没頭し、成績を落としていった。
- 中原中也は翻訳の歌集で名前が売れ、自分の詩集も出版することができた。
- 中原中也はいつまでも母親からの仕送りを頼りに暮らし、酒乱であった。
- 中原中也は数多くの辛い死別を経験しており、自分自身も30歳という若さでこの世を去った。
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中原中也の生い立ちとは?
1907年(明治40年)、現在の山口県山口市湯田温泉の医者の家に生まれた中原中也。
両親は結婚後6年ほど子供に恵まれず、本家にも実子はいなかったため、中也の誕生に中原家は大いにわきました。
父は軍医として旅順にいましたが、手元で息子を育てたいと希望
生後6か月で母、祖母とともに旅順に渡りました。
ここから家族による中也への
- 英才教育?
- 束縛?
- 甘やかし?
が始まります。
幼い頃から自分たちの階層と違う近所の子どもとは遊ばせてもらえなかった中也
家族の監視のもと、父の転勤に付き従って転々とします。
小学生の頃は成績優秀で「神童」と呼ばれていました。
「神童」と呼ばれるほど成績優秀だったのには、彼の才能や努力ももちろんですが、両親が教育熱心だったことも要因の一つです。
- 母が予習復習を担当し、
- 父は納屋に閉じ込めたり
- たばこの火を押し付けたり
と厳しい罰を与えながら教育していました。
湯田温泉の風紀が良くないからと外で遊ぶのを禁止したり、溺れるのを恐れて水泳もさせなかったほどだとか・・・
う~ん、これは過保護すぎるというか、束縛がすぎるというか・・・私なら耐えられないな~
中也が詩人の片鱗を見せ始めたのは小学校6年生の頃。
短歌を作り始め、母とともに雑誌に投稿。掲載されたこともあるほどの才能でした。
中学に入ってからは、読書へと傾倒していき、12番の成績で入学したはずの中也は、あれよあれよと言う間にどん底の120番にまで転落。
両親に黙って短歌の会に参加し、仲間と歌集を発刊するまでになっていました。
やはり、親から締め付けられて育ったことの反動が中学生と言う多感な時期に爆発しちゃったんですかね。
その気持ち、理解できなくもない気がします。
中原中也の経歴は?
さぁ、歌集を発刊しましたので、経歴の方へと移ろうかと思います。
中原中也が詩を作り始めたのは、弟の死がきっかけだと本人が語っています。
中也が8歳の時でした。8歳の少年にとって弟の死はとても辛く悲しかったのでしょうね。
思いを何かの形で表現しないと乗り越えられなかったのかもしれません。
そこから思いを表現することに目覚めた中也は、短歌を詠んだり、詩を作ったりしていきました。
勉学はというと、それほど身が入らず、中学校は4年かかって修了(3年生で一度落第しています)、
大学は浪人しながらもなんとか日本大学予科文科に入学しますが、すぐに退学・・・と親の期待を裏切ってばかりでした。
その後、現在の東京外語大学の仏語部に入学しなんとか卒業しています。
勉学には身が入らない一方で、雑誌に投稿したり、歌集を発刊したり、同人誌に寄稿したりと創作の方は力を入れていました。
中原中也の代表作は?
ではここで、中原中也の主な作品を紹介しましょう。
【詩集】
- 『山羊の歌』(1934年)
- 『在りし日の歌』(1938年)
【翻訳】
- 『ランボオ詩集(学校時代の詩)』(1933年)
- 『ランボオ詩抄』(1937年)
【全集】
- 『中原中也全集』(創元社1951年、角川書店1960年)
雑誌への投稿や同人誌の発刊は抜きにして、商業的な発行物にこぎつけたのは1933年の翻訳が初めてでした。
中也26歳の時です。
本当は『山羊の歌』を出版したかったのですが、資金が集まらず断念、出版社に持ち込むもうまくいきませんでした。
そこで、翻訳したものを出版することにしたのです。
これは無事に売れ、小林秀雄とともに翻訳者として名を残すことができました。良かったよ~。
しかし、この訳詩集は無印税だったそうで・・・作家のはしりってそんなもんなんですかね。まずは名前を知ってもらうのが大切なのかな。
初出版が嬉しかった中也は、この本を遠い親戚にまで送ったんですって。
自分の努力が形になったものをみんなに見てもらいたかったんですね。ちょっと可愛いですね。
この年の年末にには結婚もしているので、とても記念に残る1年になりましたね。
翌年には待望の『山羊の歌』が出版されることが決まりました。長男も生まれているので、順風満帆な時ですね。
中原中也『山羊の歌』『在りし日の歌』内容解説|天才詩人の名作
しかし、その3年後に、30歳の若さで中也は死んでしまいます。
これについては後で詳しく書くので、ここでは触れません。
本人最後の出版物となった『在りし日の歌』は彼が死ぬ1か月前に原稿の清書を終えたものでした。
中原中也は30年の生涯で350篇以上の詩を残しました。
かなり多いですよね。それほど心揺さぶられる出来事が多かったとも言えるのではないでしょうか。
中原中也の人柄と性格は?
実は中原中也はずっと母親のすねをかじって生活していました。
売れない作家というのは、こういうものなのかもしれませんが、自分で働いて稼ごうという気はなかったようです。
外務書記生としてフランスに留学するために仏語部に入るも、その道は諦めて、近所の学生にフランス語を教えて小遣いを稼いだ。
というエピソードが残っているので、ニートではなかったようですが、親戚に斡旋してもらった職場に入社することはなく、定職に就いてほしいという母の願いはむなしく散ることとなります。
この時、中也には妻子がいたんですよ!
いくら創作活動で食べていきたいと思っていても、現実は差し迫ってくるわけです。
ここで登場するのは、そう、母親ですよね。
大学浪人中も、『山羊の歌』を発行しようと奔走していた時も、もちろん、詩集が売れてからも、いつも母親からの仕送りを頼りにして生活していました。
はぁ~。。。わが子がこんな状態だと、見放したい気持ちも起こりそうですが、そこは可愛いわが子と孫のため。
母は毎月仕送りをしていたそうです。甘いな~。
もう一つ、中原中也は酒乱であったとの情報もあります。
中原中也が喫煙や飲酒を覚えたのは、なんと中学生の頃で、両親に隠れて出席していた短歌会などが原因です。
そりゃ~成績もがた落ちしちゃいますよ・・・
大人になってからは酒癖が悪くなり、器物破損をしたり、だれかれ構わず絡んで喧嘩をしたりしていました。
人を殴るなんて軽いもんで、ビール瓶で殴りつけることもあったとか。
酒は飲んでも飲まれるな!まさにこの言葉を投げかけてあげたい気持ちでいっぱいです。
中原中也の死因とは?
中原中也は30歳でこの世を去ってしまうのですが、死因は結核性脳膜炎でした。
若くして亡くなってしまったんですね。
30歳という短い人生の中で、中也は多くの家族や師匠に先立たれてしまっており、その度に辛い思いをしていました。
- 弟(中也が8歳の時に病死)・・・この時、弟の死を歌い、初めての詩を作る。
- 師と仰いだ富永太郎(中也が18歳の時に病死)・・・フランス詩への興味を抱かせてくれた人で、中也の作家人生の師匠。
- 父(中也が21歳の時に死亡)・・・長男としての役割を全うしていなかった中也は、母から葬儀への参列を断られてしまう。
- 長男(中也が29歳の時に病死)・・・2歳にして長男が死んでしまう。中也は遺体のそばを離れることができず、泣き暮らした。精神が不安定になる。
大切な人を次から次へと亡くしてしまっています。
特にわが子に先立たれてしまったことは中也の精神をむしばんでしまいました。
わが子との死別ほど悲しいことはないのではないでしょうか。
その結果、幻聴や幼児退行したような言動が出始め、入院を余儀なくされることとなりました。
わが子との死別から1年経たずして、
- 痛風になったり、
- 視力障害を訴えたり、
- 歩行困難になったりと、
中也の体に異変が表れます。
この時も入院するのですが、結核性の脳膜炎と診断され、その月に永眠してしまいました。
最期は苦しむことなく安らかな死でした。
この15分ほどの動画は、中也の家族を失った悲しみを特集しています。
本当に素晴らしい内容なので、よかったらのぞいてみてください。
まとめ 中原中也の性格と経歴は?死因と生い立ちがスゴすぎた!
最後に中原中也についてまとめておきましょう。
- 中原中也は医者の家に生まれるも、中学生の頃から創作活動に没頭し、成績を落としていった。
- 中原中也は翻訳の歌集で名前が売れ、自分の詩集も出版することができた。
- 中原中也はいつまでも母親からの仕送りを頼りに暮らし、酒乱であった。
- 中原中也は数多くの辛い死別を経験しており、自分自身も30歳という若さでこの世を去った。
いや~調べてみると、私がイメージしていた人物像とは全く違いました。
画像を見てください!童顔でしょ?
なんか、病弱な感じでしょ??
まさか中学生の頃から喫煙、飲酒をする不良少年だったなんて!!
喧嘩っ早い酒乱だったなんて!!
しかし、弟の死を詠んだ最初の詩、とても興味があります。
350篇すべてを読むことはできないでしょうが、この機会に何篇か読んでみようと思います。
そして、仲間たちも中也についての本を残しています。
- 河上徹太郎『わが中原中也』
- 大岡昇平『中原中也』
中でも私が読んでみたいなと思ったのは、
中也の母親である中原フクが書いた『私の上に降る雪は わが子中原中也を語る』です。
長男として頼りない中也に仕送りをしながら支え、最後にはあっという間に先立たれてしまった母親が、中也についてどのように語っているのか・・・とても気になります。
長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。
みなさんも、興味を持たれた方は、読んでみてくださいね!
全集だと、たくさんの詩が収録されていて、お気に入りの詩が見つかりますよ。
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非常に充実していて、中原中也の人柄や代表作の中身がよくわかりますよ