中国詩歌史上最高の2人と言われる李白と杜甫。
彼らは盛唐時代を生き、実際に交流もありました。
今回はそんな二人の
- 名前の意味や由来
- 李白と杜甫の関係
- 李白と杜甫の特徴や代表作の比較
について紹介していきます!
こちらを読めば、「李白と杜甫の関係や違い、名前の由来」が分かって、作品もさらに楽しめるようになります。ぜひご覧ください。
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李白の名前の意味と詩仙の由来は?
李白の母が金星の精気に感じる夢を見て、生まれたのが李白でした。
金星は別名「太白星」と言われることから、李白は名前を「白」、字を「太白」と名付けられました。
名前の由来がとっても素敵ですよね!
そして、李白は「詩仙」と称されているのをご存知ですか?
「仙」とは「仙人」を表しています。
李白が「詩仙」と呼ばれるようになったのは
- 仙人が住むと言われていた峨眉山を駆けずり回っていた
- 本人も仙人になりたいと言っていた
- 当時の詩壇の長老・賀知章から「謫仙人(=地上に追放された仙人)」と評価された
これらの逸話が理由です。
仙人は超人離れした存在。
これは、詩人・李白の超人離れした才能とリンクするものがあったのでしょう。
いつからか、李白は「詩仙」と呼ばれるようになりました。
杜甫の名前の意味と詩聖の由来は?
杜甫の名前には、李白のような素敵な由来は伝わっていません。
「甫」には、
- はじめ、はじめて
- ひろい、おおきい
という意味があります。
現在、これほど高く評価されている杜甫にはピッタリの名前ですよね。
さて、李白が「詩仙」なら、杜甫は「詩聖」と称されています。
これは、李白の「詩仙」が先にあって、二大巨頭の杜甫にも同じような異名を付けようと考えられたのが「詩聖」でした。
「聖」には、
- 知徳の優れた人
- さとい、かしこい
- 天子の尊称
という意味があります。
- 「聖人」という言葉がありますが、これは儒教的な意味では「人間がたどり着くことのできる最高の境地」です。
- 当時の政治に疑問を抱き、自分も困窮した生活を送る中で、弱者への同情や共感をいつも心に持っていた杜甫には最適な異名です。
- 天才肌李白が「仙人」、努力に努力を重ねて詩歌の世界で開花した秀才杜甫が「聖人」。
なんともうまい具合にできているなと思わざるを得ません。
詩仙李白と詩聖杜甫の関係や仲は?
こんな李白と杜甫ですが、2人はある時ばったりと運命的な出会いをします。
- 今や中国詩歌界の2大スターが同時期を生きていただけでなく、交流もあっただなんて、奇跡ですよね!!
- 二人が出会ったのは、李白が44歳、杜甫が33歳の時でした。
- 二人は一回りほど違う年齢なんですよ。
この時、李白は玄宗皇帝の元で働いていたのに、失態を犯してしまい追い出されてしまった後で、いつものように放浪していました。
杜甫は結婚後、洛陽に身を落ち着けていた時でした。
科挙に挑戦するも落第してしまい、これといった職に就いた経験もありませんでした。
そんな二人がばったりと遭遇!!
- 宮廷詩人として働いた経験があり、この時にはすでに詩人として有名だった李白
- まだまだ無名な杜甫
年も境遇も全く違う二人でしたが、どうしたことか意気投合するんですね。
- やはり、詩の才能を持つ者同士、どこか通じるところがあったんでしょうか。
- 約1年半ほど、二人は放浪したり、酒を酌み交わしたり、詩論議に花を咲かせたりしました。
- (二人と言っていますが、実は高適という人も一緒だったので、三人ですが・・・)
人生の中で1年半とは短い時間です。
しかし、二人にとってはとても濃密な時間であったのではないでしょうか。
特に杜甫からすると、自分も携わっている詩歌界の有名人と過ごす時間。
とっても贅沢で貴重な時間ですよね。
- 自分も目指している宮廷で仕事をしたことがある李白の話を、それこそ耳の穴をかっぽじって聞いていたに違いありません。
- 自分にはない、生まれながらにしての詩のセンスに圧倒され、もしかしたら、嫉妬していたかもしれません。
- 李白もまた、杜甫と交友関係を持ったということは、杜甫に何かを感じていたからでしょう。
まだ無名の杜甫の才能に、いち早く気づいたのは李白だったかもしれませんね。
李白と杜甫の特徴や代表作の違いを比較
いつも並んで評される李白と杜甫ですが、正反対な一面が多い二人。
ここでは、二人の違いを比較していきますよ。
- 性格の違い
- 詩のテーマ・スタイルの違い
- 家族愛の違い
この3本柱でいきましょう!
1.李白と杜甫の性格の違い
意気投合した二人ですが、性格は全く違います。
〇李白
- お酒と自由をこよなく愛する
- 豪放磊落(気持ちが大きく快活で、小さなことにこだわらない)
〇杜甫
- 政治や社会に大きな関心を持つ
- 動乱の世の中を嘆き、苦しむ民衆に寄り添う正義感あふれる性格
どうですか?びっくりするほど違いませんか?
まさに
- 自由奔放な天才:李白
- 真面目な秀才:杜甫
の構図が目に浮かびませんか?
- いつもベロンベロンに酔っぱらっている李白を、そこまで酔わずに「も~李白さん、またですか~」なんて言いながら介抱している杜甫の姿・・・
- ありありと想像出来ちゃいます。
- しかし、ベロンベロンに酔っぱらいながらも、詩をばんばん創作することができた李白。
お酒の席で詩を作って、それが評価されてということもあったようです。
そんな李白を杜甫はどんな思いで見ていたのかな~
- 私は完全に杜甫タイプなので、人生損してるな~なんて思うことが多いんです。
- 妹は完全に李白タイプ。
- 自分の思うように生きて、周りに迷惑をかけても、なんか人柄で得しているのか、なんでもうまくいっちゃうの・・・
ずるいよね。。。
(おっと、いけない、愚痴になってしまった・・・)
こんな正反対の性格の二人ですので、詩のテーマやスタイルも違うんですよ!
性格って詩にも表れてくるんですね!!
2.李白と杜甫の詩のテーマ・スタイルの違い
では、詩のテーマ・スタイルの違いに移りましょうね。
〇李白
- 「酒」「月」「船旅」をテーマとした作品が多い
- 自然美をダイナミックに詠んでいる
- 作品のスケールが大きく、天才的なひらめきを持つ
- 七言絶句の名作が多い
〇杜甫
- 「政治批判」や「民衆の現状」をテーマとした作品が多い
- 律詩に名作が多い
李白と言えば「酒」と「月」と言われるほど、お酒と月が大好き。
自由奔放に放浪の旅を続けていたので、自分が目の当たりにした雄大な自然を詠んだ詩が多いんですね。
ロマンを追い求めた人で、それが詩にも反映されています。
一方、杜甫は現実を直視することによるリアルな詩風が特徴です。
杜甫も放浪していましたが、そのほとんどは、自分が目指す、中央官吏の職をGETするための就職活動でした。
中央官吏の職に就きたいと願っていたのも、
- 今の政治をなんとかしたい
- 民衆を苦しみから救いたい
という熱い思いからでした。
- 詩を楽しんでいた李白
- 詩が就職活動の一環だった杜甫
これが詩風の違いに大きく影響しています。
頑張って!!と応援したくなるのは、もちろん杜甫ですよね。
しかし、生前に高い評価を得たのは李白でした。
それはそうですよね。
当時、詩を楽しんでいたのは高い身分の人たちです。
詩は言わば楽しみの一つ。
そんな場に適しているのは、ロマンあふれる、自然美を悠々と詠う李白でしょうね。
- 自分たちが行っている政治を批判する詩を詠んでいる杜甫を高く評価するわけがありません。
- もちろん、杜甫だって、就職活動中に、わざわざ民衆が苦しんでるだの、動乱の世の中が悲しいだのは詠いません。
- しかし、彼は李白ほどうまく自然美などを詩にすることができなかったのです。
では、後世の評価はどうかと言うと、杜甫がかなり盛り返してきます。
李白はもうレジェンドですから、後世でももちろん高評価です。
杜甫は、「詩史」というジャンルで高評価を受けていきます。
- 杜甫の描いたリアルな世界は、当時を知る歴史的な史料として注目されるのです。
- もちろん、民衆にも詩を楽しむ余裕が生まれてくるので、民衆の立場に寄り添う杜甫の詩は、彼らの心に染み入ったに違いありません。
- 長い年月をかけて、杜甫は詩歌界のトップの座を勝ち取っていったんですね。
杜甫の詩に影響を受けたのは、中国人だけではありません。
- なんと、松尾芭蕉も杜甫に傾倒した一人でした。
- 教科書にも出てくることのある『奥の細道』の一節、
- 「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」は、まさに杜甫の「春望」を引用しています。
松尾芭蕉は杜甫の時代から約1000年後を生きた人ですよ。
そんな彼に影響を及ぼすなんて、すごすぎます!
では、
- 李白「峨眉山月歌」
- 杜甫「春望」
を載せておきますね!
どちらも教科書に出てくる有名な詩です。
〇李白「峨眉山月歌」
峨眉山月半輪秋(峨眉山月 半輪の秋)
影入平羌江水流(影は平羌江の 水に入りて流る)
夜発清渓向三峡(夜 清渓を発して 三峡に向こう)
思君不見下渝州(君を思えども見えず 渝州に下る)
【現代語訳】
峨眉山に半月がかかる秋に
月の光が平羌江の水面に映って流れていく。
私は夜のうちに清渓を出発して、三峡へと向かう。
君を見たいと思ったが見ることができず、渝州へと下っている。
〇杜甫「春望」
国破山河在(国破れて 山河在り)
城春草木深(城春にして 草木深し)
感時花濺涙(時に感じては 花にも涙を濺ぎ)
恨別鳥驚心(別れを恨んでは 鳥にも心を驚かす)
烽火連三月(烽火 三月に連なり)
家書抵万金(家書 万金に抵る )
白頭掻更短(白頭掻けば 更に短く)
渾欲不勝簪(渾て簪に 勝えざらんと欲す)
【現代語訳】
国の都の長安は戦争で破壊されてしまったが、山や河は昔のままである。
町にも春が来て、草木は深く生い茂っている。
このような戦乱の時世を思えば、花を見ても涙が落ちる。
家族との別れを悲しんでは、鳥の鳴き声を聞いても心が痛む。
戦乱ののろし火は、もう三ヶ月も続いていて、家族からの手紙は万金にも値する。
白髪頭を掻けば、髪は更に薄くなって、簪(かんざし)も挿せなくなりそうだ。
(ウィキブックス 中学校国語 漢文/春望より引用)
- 故郷を離れる際の悲しみを自然を使って美しく、物悲しく詠みあげた李白
- 動乱の世への嘆きを訴えた杜甫
それぞれの名作です。
3.李白と杜甫の家族愛の違い
最後に家族愛の違いについても、触れておきますね。
〇李白
- 3、4度結婚している
- 家族を置いて、放浪・散財を繰り返す
〇杜甫
- 結婚は1度のみで添い遂げる
- 家族を疎開させることはあったが、基本的に一緒に移動している
結婚を何度したかで家族愛を量るものではないのは重々承知です。
- しかし、やはり一人の女性と添い遂げるというのは高ポイントですよね。
- そして、ここまで見てきたら想像できるように、李白は家族を大事に大事に、一番に思って生活するタイプではないですよね。
- それに比べて杜甫は、本当に家族を大切にしていました。
世が世でしたので、動乱や貧困に巻き込まれることは多々ありました。
- 動乱で戦火にみまわれた時、杜甫は家族を少しでも安全なところに疎開させました。
- 念願の官吏に就いていた時も、その地が飢饉にさらされると、職を辞して、新天地へと移住しました。
- 自分が幽閉されている時には、家族を思って詩を詠みました。
杜甫の家族愛も素晴らしいですが、自分の正義感のために目指す仕事に何年も何年も就けない夫を支えていた奥さんも素晴らしい人ですよね。
どんなに生活が困窮しようとも、夫に付いていきました。
本当に愛し合っていたんでしょうね。
見習いたい限りです。
最後に、杜甫が幽閉されている時に詠んだ有名な詩を紹介します。
〇「月夜」
今夜鄜州月(今夜 鄜州の月)
閨中只獨看(閨中に 只だ独り看るならん)
遙憐小兒女(遥かに憐れむ小児女の)
未解憶長安(未だ長安を憶うを解せざるを)
香霧雲鬟濕(香霧む 雲鬟湿い)
清輝玉臂寒(清輝 玉臂寒からん)
何時倚虛幌(何れの時か虚幌に倚り)
雙照涙痕乾(双び照らされて涙痕乾かん)
【現代語訳】
今夜の鄜州に輝くこの月を、
妻は寝室の中から、只一人でさびしく眺めていることであろう。
遥かにいとおしく思うのは、幼い子どもたちが、
長安に捕らわれの身の、この父を思うことすら知らないことだ。
寝室に流れ入る夜霧に、妻のあの美しい髪の毛はしっとりと湿い、
清らかな月光に、妻の玉のような腕は冷たく照らされていることだろう。
ああ、何時になったら静かな部屋のカーテンにより添って、
妻と私と二人ともに月光に照らされることができるだろう。その時には別離の涙のあとも乾くであろう。
『漢詩鑑賞事典』講談社学術文庫 石川忠久編より引用
これは「春望」と時を同じくして詠まれた作品です。
- 幽閉され、家族に会えない状況で杜甫はこれを読みました。
- 国の存亡がかかるほどの動乱の中、疎開させているとは言え、安否が気になります。
- 早く妻子に会いたい気持ちが、強く伝わってきますよね。
まとめ 李白と杜甫の関係。詩聖を比較できるおすすめ作品
李白と杜甫の関係、詩風の特徴や比較、名前の由来について紹介しました。
簡単にまとめておきましょう。
- 李白は母の夢が由来で名前をつけられた
- 李白は天才タイプ
- 杜甫は秀才タイプ
- 李白はロマンを追い求める詩人
- 杜甫はリアルを直視する社会派詩人
- 杜甫は家族愛に満ちた人
いかがでしたか?
いつも一緒に取り上げられることの多い二人ですが、全く違う詩風で生き方も真逆でしたよね。
二人をもっと詳しく比較したのが、
- 『李白と杜甫』高島俊男
- 『40歳になったら読みたい 李白と杜甫』野末陳平
です。
ぜひ、読んでみてくださいね!
以上、「李白と杜甫の関係や違いを比較。詩聖・詩仙の名前や由来の逸話」でした。