永井荷風の性格や経歴は?生い立ちとエピソードがスゴすぎた!

「永井荷風」という人物はご存知ですか?

この質問については「勿論!」という声と、「そもそも名前の読み方が分からないんだけれど……」という声が同時に聞こえてきそうですね。

文学者の方ですので、受験勉強として勉強していた方と興味関心がある方、それから専門の方でなければ馴染みがないお名前かもしれません。

下のお名前は「かふう」と読みます。蓮の花に由来するお名前だそうです。

何故「蓮」かというと、学生時代に病気で休学していた永井が思いを寄せていた看護師の名前が「お蓮」さんだったからだそうで……偉人=とっつきづらいと思われる方も多いかもしれませんが、こんなロマンチックな話を聞くと、なんだか少しだけ気になってきませんか?

今回は永井荷風の

  1. 永井荷風の生い立ちとは?
  2. 永井荷風の経歴は?
  3. エピソードから見る永井荷風の性格とは?

 

について書いて、“耽美主義”の永井荷風について知ってもらおうと思います!

ポイントは以下の通りです

  1. 入院中、文学の世界にのめり込む。永井の文学者としての才はここで芽生えた。
  2. 森鷗外に夏目漱石。様々な文学者との交流が永井の地位を生んだ。
  3. 永井は生涯独身であった。その理由が驚きのものだった!

 

永井荷風の生い立ちとは?

永井荷風(本名:永井壮吉)は1879年(明治12年)に東京都で生まれました。

父親である久一郎はプリンストン大学やボストン大学への留学経験を持ち内務省衛生局に勤務、後に日本郵政に天下ったというエリートです。

永井の興味関心が海外へ向いたのはまさに、父親の影響だといえるでしょう。また、母親の影響で歌舞伎や邦楽に興味を持つようにもなります。

 

エリート一家に生まれた永井はその流れを受け継ぎ、エリートな道を辿っていきます。

しかし永井は1894年に病を患い、一時休学を余儀なくされました。幸いにも病は良くなるのですが、留年は避けられませんでした。

後に「一時期は共に勉学に励んだ仲間達が先に行ってしまった、以前のように勉学に励めなくなってしまった」

当時のことを語る永井の気持ちは、違う時代を生きる私達にも安易に理解できますよね。

 

ただ、永井の文化人としての才はここで芽吹いたといえるでしょう。

元々教養のあった永井は療養中に

  • 『水滸伝』
  • 『八犬伝』
  • 『東海道中膝栗毛』

 

などの伝奇小説や江戸戯作文学に手を伸ばしました。

長編作品が多いのですが、幸か不幸か時間を持て余していた永井にとっては良い暇潰しとなったことでしょう。

(とはいえ、永井の場合は暇潰しに留まらず、後の人生に大きな影響をもたらすものとなるわけですが……)

永井本人も「もしこの事がなかったら、わたくしは今日のように、老に至るまで閑文字を弄ぶが如き遊惰の身とはならず、一家の主人ともなり親ともなって、人間並の一生涯を送ることができたのかもしれない」と著書の中で語っています。

 

前置きで書かせて頂きましたが、永井の筆名「荷風」はこの時期に出会った看護婦さんのお名前に由来するものです。お蓮さんも、仕事で面倒を見ていた若者が後に自分の名前に由来する筆名で有名になるとは思わなかったでしょうね……。

 

永井荷風の経歴は?

永井荷風は外国文化に興味を示し、その著書も外国に関連するものが大変多いです……

が、書かれている内容の正直さ(色んな意味で)から日記(『断腸亭日乗』)も有名ですね。

とはいえ、永井の地位を確立したのは前者ですので、ここでは前者を多めに取り上げたいと思います。

主な作品には、以下の物が挙げられます。

  • 小説『地獄の花』(1902年 明治35年)
  • 短編集『あめりか物語』(1908年 明治41年)
  • 短編集『ふらんす物語』(1909年 明治42年)
  • 詩訳集『珊瑚礁』(1913年 大正2年)
  • 小説『腕くらべ』(1918年 大正7年)
  • 小説『濹東綺譚』(1937年 昭和12年)
  • 日記『断腸亭日乗』(1917~1957年)

 

永井はフランス語を学び、エミール・ゾラの影響を受け、様々な物語を書くようになっていきます。

小説『地獄の花』は彼が小説を書き始めた頃の作品で、森鷗外に絶賛されたそうです。まさに、出世作ともいえるでしょう。

その後、24歳の頃に渡米した経験を得て書かれた短編集『あめりか物語』が高く評価されます。

続いて出版された『ふらんす物語』は発禁処分を受けるも夏目漱石に見出されて作品を発表する場を与えられ、永井は作家としての地位を確立させていきます。

 

初期の永井はゾラの影響を受け、「真実」を追求し、ドラマチックに美化した描写を否定する文学『自然主義』という手法を取っていました。

自然主義文学者としては島崎藤村田山花袋が有名ですね。

彼らは生涯自然主義文学者として作品を残し続けるのですが、永井は次第に「美」というものに芸術性を見出すようになります。

ここでいう美とはただ単に「美しい物」だけではなく、時代によっては悪しきものとして弾圧されがちな「愛」や「肉体」といったものも含まれます……

といえば、なんとなく永井の作品は『恋愛物』が多そうだなぁ、とイメージ出来るのではないでしょうか(大体その通りです)

「美」を重要視する文学は『耽美主義』と呼ばれ、永井荷風と、後に彼が見出した谷崎潤一郎が代表格として名を並べていますね。

 

エピソードとしての永井荷風の性格とは?

永井荷風の面白い・独特なエピソードとしては、以下の物が挙げられます。

  1. 小説に叔父のことを書いてしまって絶縁! これってよくあること?
  2. 永井は「美」を追求するあまり、ちょっと特殊な場所に通い続けるようになりました。
  3. 最期はひっそりと。しかし人々に愛されていた男だった。

 

上から順番に紹介していきましょう!

 

1.ちょっと前の時代の文学者あるあるだと思います。

先程ご紹介した田山花袋も代表作『蒲団』で似たようなことをやっていますし、もうしばらく先の時代の方ですが、有名どころでは三島由紀夫の『宴のあと』も似た事件を起こしています。

要は、実在の人物をモデルにして作品を書いた結果、後々揉める事件を永井も起こしているのです。

三島の時代はともかく、田山や永井の時代には『プライバシーの権利』なんてものは主張されていなかったので、割とよくある揉め事です。

問題の作品は1902年発表の『新任知事』

叔父の福井県知事、阪本釤之助をモデルに書いた作品なのですが、永井自身に権力への反発心があったことからあまり良い描写をされず、絶縁騒動にまでなってしまったそうです。

今では「絶縁」じゃ済まなかっただろうな、と思うエピソードですが、権力者の家系に育ち、時には親の権力を利用しているにも関わらず、権力者に批判的な思想を抱き、それを発信していた、というのは永井の愚直な一面を表しているような気がしますね。

 

2.芸妓遊びが止まらなかった様子

永井は慶應義塾大学文学部の主任教授をしていた時期があるのですが、その少し前に吉原に通うことを覚えています。

吉原はいわば『女性と遊べる場所』です。教育者がそんな場所に通いつめていれば、どうしても悪い噂が立ってしまいます。

永井は吉原通いを続けた結果、教授職を追われることとなったのみならず、実家からも絶縁されてしまい、散々な目に合ってしまいます。

永井は女性が好きだった……のは間違いないと思われますが、彼の場合はただの『女好き』ではなく、そこに美を見出し、芸術に昇華させる才能がありました。

事実、1937年に永井が著し、娼婦のヒロインが登場する『濹東綺譚』は彼の最高傑作とされ、何度も映画化される名作となっております。

きっと永井にとって、女性は芸術の対象として追求するに相応しい、非常に美しい存在だったのでしょう。

 

3.永井の最期は『孤独死』

永井は79歳で自宅内にて死亡します。

死の間際には誰も居らず、血を吐いて倒れていた永井を通いの家政婦が見つける、というとてもショッキングな最期でした。

死の間際、というのは今も昔も大抵は家族が傍にいるものなのですが、永井は実家と絶縁していましたし、独身でしたのでそれは叶わなかったのです。

永井は人生において二度結婚しているのですが、前者は親の商談、後者は芸妓との結婚ということでどちらも長続きはせず、その後、彼が女性と婚姻関係を結ぶことはありませんでした。永井自身、「自分は結婚には向いていない」と考えていたそうです。

寂しい最期ではありましたが、晩年の永井は決して孤独ではなく、体を壊した際には医者を紹介されていたり、永井に見出され脚光を浴びた谷崎潤一郎は最期まで永井の体調を気遣っていたりと、彼は確かに愛された文学者でした。

また、永井は生前、遊女の投げ込み寺として知られていた浄閑寺に葬られたいと言っていたようで、彼の死後に42人もの人々が集まり、遊女らの「新吉原総霊塔」と向かい合わせに詩碑と筆塚が建立されたそうです。

永井の墓地自体は父が設けていた区域に作られたのですが、少し違う形でも彼の生前の願いを叶えるためにと何十人もの人々が集まり、建立を実現させたというエピソードから永井荷風というひとりの文学者が愛されていたことが分かりますね。

 

まとめ  永井荷風の性格や経歴は?生い立ちとエピソードがスゴすぎた!

エリート家系に生まれたエリート……かと思えば、『権力者』というものにあまり良い感情を抱かず、最終的には親族から絶縁されまくる程に吉原をこよなく愛した永井荷風。

当時はきっと、今以上に永井を批判する人々も多くいたことでしょう。

しかし、どこまでも自分を貫き、嘘偽りなく自分の作品に思想を乗せて発信し続けた永井は強く、そして正直な人間だったのだと思います。

ところで永井の作品。実は「日記が一番の傑作だ」などという声もあります。

永井の最高傑作が『濹東綺譚』『断腸亭日乗』か……という答えが出そうにない問いは置いておくとして、実際に永井の日記は非常に面白く、ファンが多いのも頷ける仕上がりとなっています。

永井自身の性格なのか、ちょっと気取った感じはあるのですが、決して堅苦しくはなく、むしろ毒があって面白い作品となっております。他の文学者や知識人、権力者の名前も登場する一風変わった作品ですので、興味のある方は是非、手に取ってみてはいかがでしょうか。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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