能を作り上げたことで有名な観阿弥・世阿弥親子をご存知ですか?
古典や歴史の授業で名前だけは聞いたことがある人も多いですよね。
今回は、息子さんである世阿弥の
- 生い立ち
- 経歴と作品
- 性格が分かるエピソード
を紹介します!
こちらを読めば、世阿弥の生い立ち・経歴や作品・性格や人となりが分かって、作品もさらに楽しめるようになります。ぜひご覧ください。
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世阿弥の生い立ちは?
世阿弥は1363~1443年、室町時代初期を生きた猿楽師です。
猿楽って聞きなれない言葉ですよね。
- 猿楽とは、平安時代にできた日本の伝統芸能のことです。
- 現在では「能」という言い方をしますが、江戸時代までは猿楽と呼ばれていました。
- お父さんも猿楽師で、観阿弥と言います。
親子そろって猿楽界では超有名人です!
小さい頃の名前は「鬼夜叉」。
何という名前でしょうか・・・(笑)とっても怖くて強そう。
本名は「元清(もときよ)」と言います。
なぜ、鬼夜叉だなんて呼び名が付いたのか。
- 世阿弥が生まれた時には、父・観阿弥は大和猿楽の実力派役者でした。
- 観阿弥が一座を率いる太夫(今でいう座長ね)でした。
- もちろん、長男である世阿弥も小さい頃から一座の一員として舞台に立っていました。
二人の転機は世阿弥が12歳の時に訪れました。
- 今熊野(京都市)での猿楽能を室町幕府三代将軍・足利義満が見に来ていたのです。
- そこで足利義満の目に留まった二人は、以後、義満の庇護を受けることができるようになりました。
- 超・超・超・超大物スポンサーGETです!
当時、一番の権力者です。
これで観阿弥一座は安泰です。
しかし、その10年後、世阿弥が22歳の時に、父・観阿弥が亡くなってしまいました。
観阿弥一座を、世阿弥が継ぐことになり、世阿弥は太夫としても活躍しました。
華々しい活動を続けていた世阿弥ですが、足利義満は不死身ではありません。
義満が亡くなってしまいました・・・
- 将軍が足利義持の代になってからも、世阿弥は猿楽を深化させていきましたが、義満ほどの恩恵は受けられませんでした。
- 世阿弥の人生が少しずつ暗転していきます。
- さらに、義持の後を継いだ足利義教の代になると、弾圧が加えられるまでになってしまいました。
義教は、世阿弥の甥である音阿弥を寵愛するようになったのです。
甥と書きましたが、世阿弥夫婦はなかなか子宝に恵まれなかったので、この音阿弥を養子として迎えていました。
しかし、養子にした後に、子どもができたので、音阿弥は独立してしまいました。
跡継ぎ問題ってすごく複雑ですよね・・・
特に、スーパースターの家系なら、なおさらでしょうね。
59歳の時には、太夫の座を息子・観世元雅に譲り、世阿弥は出家しました。
世阿弥出家後も、義教の弾圧は止まりません。
- 仙洞御所への出入り禁止
- 醍醐清滝宮の楽頭職罷免
このようにして、世阿弥・元雅親子は活躍の場を奪われていきました。
こういうのを知ると、その人に才能があるかどうかではなく、スポンサー次第なのがよく分かりますよね。
スポンサーに気に入ってもらえることが大切だということが身に沁みます。
活動の場を取り上げられるだけでなく、さらに世阿弥に不幸が続きます。
長男・元雅が伊勢での巡業中に急死。
これは、暗殺ではないかと噂されたようです。
もし、暗殺であるならば、活動の場を取り上げられた上に、息子まで殺されて、世阿弥は失意のどん底ですよね。
世阿弥自身も71歳の時、義教によって、佐渡(新潟)へ流刑されてしまいました。
その後のことは詳しく分かっていないのですが、80歳で亡くなったことになっています。
幼少期から猿楽の有名役者として才能を発揮していた世阿弥でしたが、人生の後半はとても厳しい環境に置かれていたんですね。
世阿弥の経歴と作品。代表作は?
生い立ちでも触れたように、世阿弥は父・観阿弥と共に、猿楽を芸術に引き上げる立役者となりました。
演者としてだけでなく、
- 謡曲の作者(脚本家)
- 能楽論書の作者(評論家)
としても名を残しています。
1.謡曲の作者(脚本家)
謡曲とは、猿楽の詞章のことです。
世阿弥は、約50曲を作ったとされています。
代表作は、
- 「高砂」
- 「老松」
- 「忠度」(平家物語)
- 「敦盛」(平家物語)
- 「頼政」(平家物語)
- 「実盛」
- 「清経」
- 「井筒」(伊勢物語)
などです。
これは、猿楽の脚本でもあるので、舞台全体をプロデュースしていたことになります。
現在でも上演されているものもあるんですよ!
そして、『平家物語』や『伊勢物語』の場面を切り取って猿楽にしているものもあります。
古典の教養がないとできないことですよね。
きちんと勉強していた証拠です。
2.能楽論書の作者(評論家)
世阿弥は、
- 父・観阿弥からの教え
- 自らの芸術論
を、後世のために書き残しています。
現存しているものは21種類と言われており、特に注目されているのは3作あります。
- 『風姿花伝』
- 『花鏡』
- 『申楽談儀』
です。
『風姿花伝』は、
- 7歳から50歳までの年齢に応じた稽古の心得
- 猿楽の美である「花」を説き、幽玄を求めた
ものです。
『花鏡』は、
- 長男・元雅に与えた秘伝書
- 幽玄、初心のことを説く
内容となっています。
『申楽談儀』は、
- 猿楽の歴史
- 先人の芸風・逸話
について、世阿弥が60歳以降に語ったものを、次男・元能が筆録し世阿弥に贈ったものです。
『風姿花伝』は古典の教科書に載ることもあるほど有名で、歴史的価値だけでなく、文学的価値も高い作品です。
芸事というのは、実践を通して伝えていくことが多いものですが、世阿弥は教養が備わっていたため、文字として残すことができました。
文字として残っているからこそ、現代でも世阿弥の芸術論をありありと味わうことができるんですよね。
世阿弥の性格がわかる面白いエピソード
世阿弥が活躍できたのは、世阿弥が持った才能はもちろん、大物スポンサー足利義満をGETできた幸運もあります。
しかし、世阿弥が当時の気風をしっかりと猿楽に取り入れていたことも要因の一つでした。
当時の貴族や武家社会は「幽玄」を良しとする気風がありました。
猿楽の観客の多くは貴族や武士です。
そこに目を付けた世阿弥は、
- 言葉
- 所作
- 歌舞
- 物語
これらの至る所に幽玄美を漂わせたのです。
- これを「夢幻能」と言い、能の一つのスタイルを確立しました。
- 観客の好みをしっかりリサーチすることができた世阿弥は、とっても商売上手ですよね。
- 世阿弥には、商才もあったのです。
猿楽の演者は小さい頃から舞台のことばかりしているので、教養は低い人がほとんどでした。
そんな中で、世阿弥は、将軍や公家の庇護を受けることができていたので、教養を身に付ける機会を得ていたのです。
教養があったことで、後に謡曲を書いたり、能芸論を残したりすることが可能となったんですね。
まとめ 世阿弥はどんな人?分かりやすいおすすめ作品
世阿弥の性格と経歴・生い立ちと面白いエピソードについて紹介しました。
簡単にまとめておきましょう。
- 世阿弥は父・観阿弥と共に、猿楽を芸術として大成した
- 世阿弥は役者・脚本家・評論家としてマルチな才能を発揮した
- 世阿弥は人生の後半は不運な人生を送った
- 世阿弥は商才をも併せ持っていた
世阿弥はまさに猿楽界のカリスマ的存在だったんですね!
そんな世阿弥のおすすめ作品は、
- 『風姿花伝・花鏡』小西甚一翻訳
です。
世阿弥が息子に渡した秘伝書をぜひ読んでみてください。
また、世阿弥について、もっともっと詳しく知りたい方は、
- 『世阿弥 -花と幽玄の世界』白洲正子
もおすすめですよ。
少し難しい内容ではありますが、読みごたえは抜群です。
以上、「世阿弥の性格と経歴・生い立ちと面白いエピソード」でした。