与謝蕪村の性格と経歴は?生い立ちとエピソードが面白い

俳人と画家、2足のわらじをはいていた与謝蕪村。

名前は聞いたことがあるけれど、どんな作品を作った人なのか知らない人も多いのではないでしょうか。

今回は、与謝蕪村の

  • 生い立ち
  • 経歴と作品
  • エピソードから分かる性格

 

を紹介していきます!

こちらを読めば、与謝蕪村の生い立ち・経歴や作品・性格や人となりが分かって、作品もさらに楽しめるようになります。ぜひご覧ください。

 

与謝蕪村の生い立ちは?

与謝蕪村は1716~178年、江戸時代中期の俳人、画家です。

  • 生まれは摂津国(大阪)で、小さい頃のことはよく分かっていません。
  • 小さい頃に両親を亡くし、20歳の時に江戸に下り、夜半亭早野巴人(やはんていはやのはじん)に俳諧を学びました。
  • この時には「宰鳥」という号名を使っていました。

 

27歳の時には師匠巴人が亡くなってしまい、その後は、敬愛してやまない松尾芭蕉の足跡を辿る旅に出ました。

北関東から東北にかけて、約10年間も放浪の旅を続けました。

小さい頃から絵が得意だった蕪村は、宿代として絵を置いていきました。

宿代として絵で良いと言ってもらえるなんて、とっても絵が上手だったんですね。

これほど絵をばらまいているなら、まだまだどこかのお家に蕪村の絵が眠っていそう!!

 

この10年間は、蕪村にとって俳人として、画家としての基礎を作る期間でした。

この旅の手記を後に『歳旦帳』としてまとめていますが、この時、「蕪村」という号名を初めて使うことになりました。

 

40代になると、放浪の旅は一旦終え、京都に定住します。

 

45歳で結婚し、一人娘をもうけました

かなり結婚が遅かったんですね。

放浪の旅を終え、私生活でも安定を求めたのかもしれません。

この頃は、画家を本業としていました。

その傍らで、俳句にも精を出し、55歳の時には、師匠の名である「夜半亭」を継ぐことができました。

 

蕪村は68歳で亡くなるのですが、俳人らしく、辞世の句を詠んでいます。

 

しら梅に 明くる夜ばかりと なりにけり

 

季語は「しら梅」で季節は春です。

陰暦12月に亡くなっているので、現在では2月頃でしょうか。

 

  • ちょうど梅の花がほころび始めて、これから春がやってくる季節です。
  • きっと蕪村は自分の命がもう長くはないことに気づいていたはず。
  • そんな時に、このような新たな季節を感じさせる句を詠むなんて、蕪村は自分の人生に満足していたのでしょう。

 

悲観した句ではないですよね!

 

与謝蕪村の経歴と作品。代表作は?

では、具体的に与謝蕪村の作品を紹介していきましょう。

与謝蕪村は俳人、画家、両方で活躍しているので、

  1. 俳人としての与謝蕪村
  2. 画家としての与謝蕪村

 

両面を紹介しますね!

 

1.俳人としての与謝蕪村

20歳から俳諧を学び始めた与謝蕪村ですが、師匠である巴人は、松尾芭蕉の弟子から俳諧を学んだ人でした。

そのため、蕪村ももちろん、松尾芭蕉をとても尊敬していました。

師匠の師匠の師匠ですもんね、そりゃ~尊敬します!

ましてや松尾芭蕉はビッグネーム!そんな人のお弟子さんから引き継いだ学びができるなんて、すごいことですよね。

 

先述した通り、松尾芭蕉の足跡を辿る旅をする中で、蕪村は多くの句を詠み、実践を積んでいきました。

そして55歳にして師匠の名を継ぐことになりました。

 

しかし、その頃の俳諧は、松尾芭蕉の頃とは異なり、低俗なものになってしまっていました。

  • 松尾芭蕉の頃の俳諧は、庶民でも親しめるものでありながらも、しっかりとした格式高い風格を漂わせたものでした。
  • この差に落胆した蕪村は、「蕉風(松尾芭蕉を中心とした俳風)復興」を唱えて、奮闘。
  • 松尾芭蕉は実践に重きを置くスタイルだったので、蕪村も自ら句をたくさん発表していきました。

 

蕪村の句は、古典の教養を土台とした、

  • 浪漫的
  • 絵画的

 

なものでした。

この俳風は蕪村が画家であったことも大きく影響しています。

  • 蕪村は、自然の情景を描写するのがとても上手でした。
  • 蕪村の句を読むと、その情景がありありと目の前に広がります。
  • これはやはり、蕪村が絵を描くことを生業にしていたからでしょう。

 

このようにして、蕉風を復活させよう!俳諧を格式高いものに戻そう!!と頑張った蕪村。

蕪村の頑張りはしっかりと通じ、今では

 

  • 松尾芭蕉
  • 小林一茶

 

と並んで、江戸俳諧の巨匠の一人に数えられています。

江戸俳諧中興の祖とも言われており、

  • 貞門
  • 談林
  • 蕉風

 

に続く、「天明調」という俳風の創始者とされています。

 

自分が憧れていた松尾芭蕉と同じ土台に乗っていると知ったら、蕪村はどれほど喜ぶことでしょうね。

自分の俳風が一つの流行を作るだなんて、すごいことです!!

もちろん、俳風を作るくらいなので、多くの人から師事されていました。

 

が、明治時代に入るまでは、松尾芭蕉の方が圧倒的知名度を誇っていました。

 

しかし、正岡子規の尽力により、蕪村にも日が当たるようになりました。

正岡子規は、松尾芭蕉が神格化され過ぎていることを懸念していたのです。

正岡子規の登場により、俳人としての蕪村の評価が確立することとなりました。

やはり、松尾芭蕉が偉大過ぎて、それ以降の俳人たちが埋もれてしまうことも理解できます。

このようにして、俳諧の世界で活躍していた与謝蕪村の代表作は

  • 『明烏』
  • 『続明烏』
  • 『蕪村句集』
  • 『夜半楽』
  • 『新花摘』

 

があります。

 

2.画家としての与謝蕪村

俳人として有名な与謝蕪村ですが、画家を本業として活動していました。

絵を売って、家族三人が生活していたので、絵を描くことに追われることも多々ありました。

池大雅とともに、日本の文人画の大成者とされています。

画家の活動からも松尾芭蕉への敬愛は明らかで、松尾芭蕉の作品に絵画を合わせる俳画を描いています。

  • 「奥の細道図巻」
  • 「野ざらし紀行図」
  • 「奥の細道図屏風」
  • 「奥の細道画巻」

 

です。

 

「奥の細道画巻」は、『奥の細道』の原文を書写し、俳画を付け加えたものです。

今でいう、小説を漫画化、アニメ化、映画化する感覚でしょうか。

もちろん俳画だけではなく、山水画なども描いています。

  • 蕪村は流派に属することなく、独学で絵の技術を習得しました。
  • お手本としたのは中国の絵画で、特に南宋画の影響を強く受けています。
  • 絵を売って生活していたので、お客さんの要望に合わせて画風を変えていたそうです。

 

実際の風景を描くのではなく、中国の版本をモデルに書くことが多かった蕪村。

絵を売って生計を立てられるようになった頃には、モデルを自由に配置して描くことができるようになっていました。

独学でここまで大成することができるなんて、すごすぎます!

才能があったんでしょうね。

 

与謝蕪村の性格がわかる面白いエピソード

与謝蕪村は結婚が45歳と遅かったので、恋愛には興味がないのかと思いきや、そんなことはありませんでした。

蕪村は64歳の時、妻子がいるにも関わらず、祇園の美人芸者に夢中になってしまいました。

さすがにそれはどうかと、友人が諫め、彼女とは別れることに・・・

そんな時に句を詠んでいます。

 

桃尻の 光りけふとき 蛍哉

 

蛍が去っていくのを寂しく思うという句ですが、蛍と芸者とを重ね合わせて詠んだんですね。

 

いやいや、やめなさいよ~

妻子ある身で、しかも64歳のおじいちゃんがさ~

俳句でも絵画でも名を成してるんだからさ~

そんな才能をこんな句に使うんじゃないよ!まったく。。。

 

また、自分のことだけでなく、他人の恋愛にも興味を持っていたようで・・・

  • 蕪村の家で働いている女中が、弟子のところで働く下男に恋をしていると知った蕪村。
  • 用事もないのに、わざわざ用事を作って、その女中を弟子の家にお使いに行かせるように仕向けてあげたんだとか。

 

これは、とっても人情味のあふれる、良いエピソードですよね!

自分は妻子ある身なんだから、他人の恋愛でホクホクしておけばいいのよ~

(このエピソードの時、蕪村が何歳だったかは分からないんですがね・・・)

 

まとめ 与謝蕪村はどんな人?分かりやすいおすすめ作品

与謝蕪村の性格と経歴・生い立ちと面白いエピソードについて紹介しました。

簡単にまとめておきますね。

  • 与謝蕪村は俳人としても画家としても名声を得た
  • 与謝蕪村は松尾芭蕉を敬愛していた
  • 与謝蕪村は天明調という俳風を先導した
  • 与謝蕪村は人情味のある人柄である

 

俳人としても画家としてもきちんと大成することができるって、本当にすごいですよね。

どちらか一つだけでも有名になるのは大変なことなのに・・・

10年間の放浪による武者修行がしっかりと実を結んだんですね。

そんな与謝蕪村のオススメ作品は

  • 『蕪村句集 現代語訳付』玉城司

 

です。

絵画的な俳句の世界をぜひ楽しんでみてください♪

以上、「与謝蕪村の性格と経歴・生い立ちと面白いエピソード」でした。

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