Twitterで正義についての議論を見かけました。
ある人が、あるジャーナリストに対して、こう批判されています。
相対化の名の下に「正義」と「正義を騙った悪」の峻別をつけることを怠ってるだけだよね。 同じ「暴走」でも、前者が暴走するのと後者が暴走するのでは全く違う。で、日本ではなぜか前者の暴走への忌避感だけが異様なまでに強い。
これに対して、当のお方は
「正義」と「正義を騙った悪」は峻別できない、と私は考えています。
とおっしゃっていました。
とても重要で、おもしろい問題です。
いわゆる相対主義の問題
「正義とは何か?」
と表現できるか?
という問題です。
これはまさにソフィストの時代から始まるギリシャ哲学の根本的なテーマです。特にプラトンが国家という作品で問題にしています。 https://t.co/iwupi5wnEo
— Master Neeton (@MNeeton) December 29, 2017
ということで、プラトンにとっては「正義とは何か」
これが非常に重要な哲学的テーマだったと思います。
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プラトンとクリティアス。三十人政権
プラトンには、クリティアスという親戚がいました。
彼は、30人政権と呼ばれるアテネでクーデターを起こして統治権を得た政権の党首でした。
清廉潔白・正義をマニフェスト・理念に掲げて、アテナイを善なる方向へ導こうとしました。
最初は「無意味な裁判を繰り返して行政を滞らせる悪い人間」を追放したりして、民衆の喝さいを受けた政権です。
しかしその理念はどこへやら、ロベスピエールのごとく恐怖政治に変わってしまいました。
お金もちから財産を不当に巻き上げたり
政権を批判する市民を逮捕したり
まさにフランス革命と同じ感じです。
クリティアス=ロべルピエールみたいなイメージで大体あってると思います。
プラトンは理想国家を作る前、政治参加するチャンスを見送った
実はプラトンは、伯父クリティアスから30人政権を手伝ってほしいと打診されました。
心はやるプラトンでしたが、様子を見てたら半年後に恐怖政治に変わってしまうのです。
そして政権崩壊後、いったんアテネを逃れます。
プラトンの中のショックは並々ならぬものでしょう。
「あの知性的で優しいおじさんがどうして?」と。
クリティアスとソクラテスは師弟関係だった
じつはクリティアスは、プラトンと同じく、ソクラテスを慕っていました。
他人から見れば、クリティアスは完全にソクラテスの弟子のような存在でした。
だからソクラテスは、「若者を堕落させた罪」で訴えられ、あの有名な『ソクラテスの弁明』が始まるのです。
清廉潔白なおじさんの政権が、罪もない人々を次々に粛清する恐怖政治に変わってしまったこと。
その後、共通の師であるソクラテスが何の罪もないのに死刑判決を受けたこと。
この2重のショックで、プラトンは10~20年ほど諸国を放浪するのでした。
プラトンの『ソクラテスの弁明』の特徴⇒書き手の意見を隠したルポルタージュ
40才になったプラトンは、アテネに帰還し、哲学的作品の執筆にとりかかります。
最初の作品が『ソクラテスの弁明』と言われています。
実はソクラテスの弁明という作品はプラトンだけではありません。
クセノフォンを始めいろんな人が創作のテーマにしています。
ソクラテスに関する一連の作品群があったのです。
「ソクラテスの弁明という同名の作品が多数存在した。」ということです。
その多くの作品は、ソクラテスを弁護あるいは非難するものでした。
しかしプラトンの弁明は違いました。
作者自身(プラトン)の意見は隠し、ありのままの臨場感を出そうと努めたのです。
創作でありながら、ルポルタージュ的な色彩が非常に強いのです。
その後次々にいわゆる対話篇と呼ばれる作品群をプラトンは執筆します。
その数30超。しかもすべての作品が残されているという奇跡です。
ソクラテスの弁明要約と解説|裁判背景を知れば対話篇は10倍面白くなる
クリティアスに欠けていたのは「正義とは何か?」についての理解
そしてクリティアスに戻ると、プラトンはこう考えます。
「おじクリティアスは清廉潔白・正義についての理解に問題があったのでは?」
これがクリティアスの政治が失敗した理由である、と考えるのです。
ソクラテスは「○○とは何か」という抽象的な徳目の理念を言語で表現しようと努めた人でした。
その文脈で「正義とは何か」というテーマもありました。
クリティアスは「正義とは何か」、これについて十分に理解していなかった。
だからこそ、高貴な理念が、恐怖政治に変わってしまった。
こうプラトンは考えます。
そのクリティアスの正義(思慮深さ・節制)についての理解を問うた作品が『カルミデス』です。
そして「正義とは何か」を定義しようとした作品が有名な『国家』です。
これまでのクリティアス理解は、単なる悪人・傲慢な犯罪者。
「恐怖政治を敷いた=悪いヤツ」という理解が一般的でした(クセノフォンもそうとらえています)。
これに対して疑義を唱えたのが加藤信朗さんと納富信留さんです。
それでこそプラトンが『カルミデス』を書いた意味が分かるのです。
(関連記事)【プラトン読書案内】血気盛んな東大哲学科教授のおすすめ本はコレだ!
まとめ:「正義の定義」を試みたプラトン『国家』を読もう
『国家』では正義とは何か? これがテーマになっています。
「正義は相対的なものにすぎない」というソフィストの主張(ノモスとしての正義)。
これに対して、プラトンは理想国家の建設と共に「正義は絶対的なものである」という議論(ピュシスとしての正義)を導いていきます。
正義について議論するなら、プラトン『カルミデス』と『国家』を読むと楽しいです。
マイケルサンデルの本では、プラトンはなぜか完全に無視されています。
「正義は善である」
これがサンデルの本では前提されているんです。
でもプラトンは
「正義は最大の悪であるかもしれない」「正義はどう考えても不正より損だろう」
と前提します。
「それでも正義って守る意味あるの?」
これがプラトン『国家』のテーマです。
めちゃめちゃおもしろいですよ。
第2巻をよく読むことをおすすめします。一番おもしろいです。
(関連記事)プラトン国家テーマ解説|現代正義論が隠蔽するグラウコンの挑戦とは?
参考文献:
プラトンとクリティアスについて、詳しい考察
加藤信朗『初期プラトン哲学』
納富信留『プラトン』
同「クリティアスープラトン政治哲学の原点」(web公開されてる論文)