マスター(@MNeeton)に紹介してもらった藤子・F・不二雄『気楽に殺ろうよ』も性行為と食事行為の逆転、あるいは殺人の倫理を通して、無自覚な価値観の点検を迫る話らしい。https://t.co/RzlvfJMStn pic.twitter.com/59hJYzP4cI
— ボロノイ図 (@p2357111317) 2018年7月26日
哲学の入門には様々な形がありえます。
このブログでも、プラトンやアリストテレスの話であったり、「タレスと井戸」の話といった哲学者の作品やエピソードを語りました。
それとは別に、法律を守るとはどういうことか、という点で哲学への入り口を示す記事も書いてみました。
今回は、まんがから哲学の扉を叩いてみたいと思います。
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まんがで哲学に入門する
取り扱うまんが作品は藤子・F・不二雄『気楽に殺ろうよ』です。あらすじは以下の通り。
「気楽に殺ろうよ」
藤子不二雄作
性欲と食欲の概念が逆転した世界。性欲は開放的に、食欲は閉鎖的になった世界に迷い込んだ主人公のお話。
個を生かすための食欲と、集団を繁栄させるための性欲との価値観の違いを考えさせられる一品になります。 pic.twitter.com/YtdscvNYUy— プリズマNURU (@horuhiru) April 27, 2017
主人公(河口)が朝起きて新聞を取ろうとしたときに、突然背中から刃物で刺されたような凄まじい激痛を受ける。発作は5分程で収まるのだが、主人公は今いる世界に違和感を覚えることになる。読者は、主人公と病院の先生との会話で少しずつ分かっていくのだが、どうやら価値観が違う世界になってしまったらしい。しかし主人公はその事実を受け入れようとしない。そのため、どうも二人の会話がかみ合わない……。
最後は主人公もこの世界に順応して、文字通り「気楽に殺ろう。」と意気込む。しかしその時には、いつの間にか元の世界に戻っていたのだが、主人公はそれに気付かない。Wikipediaより
このまんがの肝は、価値観の逆転です。サラリーマンが、ある日突然、全く価値観の違うパラレルワールドに移ってしまう。そこでは、性欲と食欲の持つ社会性が逆転していました。つまり、ご飯を食べることが、性行為をすることのように隠れて行われているんですね。
反対に性行為は、ご飯を食べるようにオープンに行われます。商店街も、食堂と歓楽街がひっくり返っていましたね。駅のホームで、赤ん坊をゴミ箱に捨て、新たに子作りを始める学生カップルがいました。これは個人的には非常におもしろい場面です。
「こんな社会だから、人口が多い。だから子どもを1人作ると、誰かを1人殺してもよい」という権利が認められている。これが題名の『気楽に殺ろうよ』の意味です。
主人公はひっくり返った世界に混乱するも、徐々に世界観を理解します。そして既に所有していた殺人の権利を、上司に使ってやろうと決意します。その翌日、ひょんなことでパラレルワールドから元の世界へ戻るのですが、来るべき殺人行為に興奮する主人公はそれに気づかず、意気揚々と出社する場面で話は終わります。
パラレルワールドに入った時は、主人公は玄関で、奥さんに『お弁当は!?』と大声で叫び、奥さんは大赤面します。しかし、ラストシーンでは、奥さんが主人公に玄関から『お弁当忘れてるわよ!』と大声で叫んでいるんですね。
このあたりは実に心憎い演出ですね。こういう印象的な場面があるかないかで、そのまんがの価値もかなり決定されます。印象的なシーンがない作品は、結局忘れられてしまいますが、こういった場面は、長く記憶に残り、時間が経っても作品全体が再評価されるのです。
食欲の目的は個体の生存です。つまり、自分だけのために行う行為とも言えます。一方で性欲の目的は子孫を残すことであり、パラレルワールドにおいては、食欲よりも性欲の方が、公益性の高い欲求であると考えられていました。
ここがこのまんがの優れたところであって、価値観の逆転の根拠を、最もらしい理由で説明しているんです。
『気楽に殺ろうよ』から学べる哲学とは
さて、そろそろ哲学の話をしましょう。このまんがが何か哲学をしているとすれば、哲学とは「価値観の点検」ということになります。普段私たちが当たり前だと考えている価値観(常識)は、本当に当たり前なのか? 揺るがないものなのか?
そういうことを少しまじめに考え直してみることが、哲学入門としてよく言われます。
ただし、疑うだけでは想像は膨らみますが、学問にはなりません。具体的な問題・テーマとして調査することで、哲学も学問になりうるのです。
例えば、
なぜ現代では食欲が開放的に、性欲が閉鎖的になっているのでしょうか?
現代の価値観は、パラレルワールドの価値観ほどに根拠があるものなのでしょうか?
過去の文明で、このパラレルワールドに似た価値観を有する文明はあったのでしょうか?
こうした問いを導き、調査することで、哲学は始まるのです。
では、次回はこうした具体的な問いを導き、調査した『哲学者』と言われる人物の考えたことを学んでいきましょう。
始めの哲学者はターレスというギリシア人だと言われます。この人が題材にしたのは当然まんがではなく、この世界そのもの・この宇宙全体についてでした。