遠藤周作『沈黙』は昭和41年、新潮社より出版。出版後、たちまち文芸界の話題をかっさらった。
出版のその年のうちに、キリスト教系の雑誌から文芸誌まで、十数編の評論が発表された。また、シンポジウムや座談会も開催されたという。
三島由紀夫、会田雄次、江藤淳、丹羽文雄、武田泰淳、伊藤整、大岡昇平、亀井勝一郎といった名だたる人物が、『沈黙』への評論・批評・言及を行ったのだ。
これまでのキリシタン文学には全く出現しなかった、キリスト教の教えや福音、神といった概念と正面から向き合った作品が『沈黙』であった。
文学界では『沈黙』における「転びの肯定」への礼賛と反発が入り乱れた。
そして『沈黙』に批評するには、宗教の領域に踏み込まなければならない。評論家・批評家たちは、徹底的な言及を恐れ、「内容はおもしろいが、棄教の解釈はいかがなものか」などとお茶を濁す者も多かった。
さらに、『沈黙』は昭和47年までに七ヶ国語に翻訳。英訳はグレアム・グリーンによる。
翻訳後、たちまち全世界で話題となり、海外における戦後日本を代表する文学作品となった。
沈黙の構成とあらすじ
遠藤周作『沈黙』は、キリシタン弾圧の時代背景の下に「転びバテレン」を扱った小説である。
『沈黙』は「まえがき」と9つの章で構成される。
まえがき
まえがきは報告体で叙述される。「ローマ教会に一つの報告がもたらされた」という書き出し。
日本に33年潜伏しながら宣教を続けたフェレイラ・クリストヴァン教父の棄教がローマに報告される。
それを確かめるために、3人の司祭がローマを出発する。そのうちの1人がロドリゴという司祭である。
第1章から第4章
まえがきに続く4つの章は、3人の司祭の1人、ロドリゴ司祭の4通の書簡。
ロドリゴの船旅・日本上陸・日本での布教・弾圧からの逃亡がそれぞれの章で描かれる。
初めの2通は「主の平安 基督の栄光」といった具合に威風堂々とした調子で書き綴られている。
けれども3通目からは暗い調子になる。梅雨の季節が、陰鬱な調子が重なり合っていく。
第5章から第8章
5章から8章までは三人称での語りに変わる。すべてを見通し、淡々とした(静謐というべきか)筆致が物語の温度を下げていく。
それぞれの章で、捕らわれたロドリゴ・牢の中のロドリゴ・フェレイラとの対話・拷問と棄教が叙述される。
踏み絵を求められるロドリゴに対し、踏み絵のキリストが沈黙を破る。
「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ。」
ラストの第9章
最後の9章ではフェレイラとロドリゴの日々が三人称で語られ、それを出島の商人ヨナセンの日記が補完しつつ、最後は文語体によるキリシタン屋敷役人日記。
「私は転んだ。しかし主よ。私が棄教したのではないことを、あなただけが御存知です」
「たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた」という結びの言葉が綴られる。
『切支丹の里』――遠藤周作による『沈黙』の解説書
『切支丹の里』(昭和49年・中公文庫)は遠藤周作自身による『沈黙』の解説書。『沈黙』のための取材旅行の報告の体裁で書かれている。
「政治家からも歴史家からも黙殺され……沈黙の灰のなかに埋められた……彼等をふたたびその灰のなかから生きかえらせ、歩かせ、その声をきくことは――それは文学者だけができることであった」
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