人生の勝ち組の特徴と基準は哲学書(プラトン国家)を読むとよく分かる!

なぜあなたは、「勝ち組になるのが得だ」と分かっているのに、それを目指さないのですか?

「この世は弱肉強食の奪い合い」

そう分かっているなら、なぜ「強者」になろうとしないのですか?

私たちが抱えている、こんな矛盾。

プラトン『国家』を読むと、そのジレンマが見えてきます。

プラトン『国家』のテーマとは?

プラトンの哲学対話篇『国家』のテーマは正義論。

「正義は損である」という、ものすごく大きな問題提起を抱えたプラトン。

「正義を守る価値はあるのか?」

それを論じるために、著者プラトンがとった戦略とは?

これまで、いくつかの記事で、プラトン『国家』のテーマ(正義論)について考察してきました。

着目した箇所は、『国家』第2巻の冒頭。
プラトンのお兄さんであるグラウコンとアデイマントスの2人。
彼らが、ソクラテスに対して

「正義をそれ自体として価値があるものだ」と証明してほしい

と頼む場面でした。

頼むにあたって、2人はものすごい仮定をしました。
それを一言で表せば、

「人生は、どう考えても不正をした方が得なんですけど、それでも正義を守る意味がありますか?」

というものです。

  • どんなに不正をしても絶対にばれない。
  • あの世でも神様に許してもらえて、一生極楽浄土。

こんな状況だったら、そりゃあ正義を守る意味なんかないですよね。
むしろ、「こんな状況での正義」って何なのか分からなくなります。

詳しい紹介は、こちらをご覧ください。

【不正を冒す人生の素晴らしさを証明!?】プラトン『国家』の正義論がヤバすぎる

2016.11.27

プラトン国家テーマ解説|現代正義論が隠蔽するグラウコンの挑戦とは?

2016.11.26

プラトンが抱えた正義論の問題提起をまとめてみた

さて、プラトン『国家』における、正義論の問題提起について、をまとめましょう。以下の4点にまとめられるかと思います。

1.「ノモスとピュシスの対立」というソフィストの議論により、従来の正義は根拠なしとされた。
2.正義を守る根拠は見返りによるのだから、不正を行える状況(ギュゲスの指環)において正義は守られない。
3.不正を極めることが、この世でもあの世でも幸福であると、従来の伝承からも確認できる。
4.正義を守る人生には消極的な意義しかなく、積極的意義が全くない。

さて、グラウコンとアデイマントスの二人は、ここまで正義を貶めました。

そしてソクラテスに「それでも正義は価値がある」と主張してくださいとお願いしています。

実際、ソクラテスも弱り果ててしまいます。

さて、実際に『国家』を執筆したのはもちろんプラトンです。
しかし、あまりにも問題を大きくしてしまってはいないでしょうか?

こんな大きな問題をぶち上げて、まともに答えられるのでしょうか?
どうやって正義を弁護するのでしょうか?

プラトン正義論の戦略:社会契約論的思想を根本から覆す!

この状況で正義を弁護するには、「ノモスとピュシスの対立」を根底から覆さなければなりません。

ノモスとピュシスの対立とは、現代でいうと社会契約説ですね。

「人間は放っておくと、力と力の奪い合いになる。
 それはやめて、お互いに、悪いことはしないようにしよう」

ざっくりいうと、こういう考え方をさします。

しかしノモスとピュシスの対立を覆すには、
「現状の国家・市民の中では間違った前提が多すぎる」
とプラトンは考えたに違いありません。

だって、それはアデイマントスの議論によって証明されてしまいました。

不正の人でも、神々にお供えをして、お祈りをすれば許してもらえる

と、アテナイの市民はみんな、そういう言い伝えを聞いて育っているのですから。

さあ、どうする、プラトン?

既存国家の伝統の上に、正義を弁護することは難しい。

かと言って、理想の国家を物語風に描写したところで、どうか?
単なる理想論や社会風刺の枠を出ません。
(トマス・モアから始まる近代のユートピア論が好例です。)

プラトンは「哲学の力で正義を守るしかない」と考えました。

哲学的議論によって、国家や人間のあるべき姿を語る。
ひとつひとつ、語るごとにグラウコンとアデイマントスの同意を取り付ける。

そうして

  • 理想国家
  • その実現可能性

これらを一から作ることを、試みた。

そのように考えられます。

「ノモスとピュシスの対立構造」を覆すには?

このようにプラトンにとって

「ノモスとピュシスの対立構造」との対決。
つまり、「ソフィストによる議論との対決」は避けられないものでした。

とはいえ、反対にこれらを解決できればどうでしょう?

正義を讃える言論に根拠を持たせることができます。

この世で生きる人間は、自身の心に僭主的な欲望を持つのは否定できません。
(不正ができるチャンスがあれば、してしまう)

だとしても、だからといって不正をしていいことにはならなくなります。

ちなみに、現代の私たちが法を守るのは「逮捕されてしまったら損だから」という、実に情けない理由によると思います。

では、**「ノモスとピュシスとの対立構造」というソフィストの議論を退けるにはどうするか?

プラトンはこう考えたのだと思います。

「ノモスとピュシスは対立せず、一致する」という主張ができればよいと。

もしこの主張が成功すれば、

少なくとも人間の自然本性が
「より多くの利得の獲得」だけではなく、
「法と秩序を守ること」も関係してくる。

そう言えるようになるでしょう。

グラウコンとアデイマントス。
彼らの議論・挑戦をまとめると、以下のようになるでしょうか。

グラウコンの挑戦は、ノモスとピュシスの対立をあらゆる人々が暗に認めていることの証明である。

アデイマントスの挑戦は、対立を認めているにもかかわらず、むなしく正義を守る、あるいは奉ずる人々への批判である。

なぜむなしいと言ったかというと、このような

「強者が正義である」「ピュシスとノモスの対立」

といった思想が行き着く先は、弱肉強食の奪い合いでしかないからです。

じつは『国家』第1巻の登場人物であるソフィストかつ政治家のトラシュマコス。
彼がそのような弱肉強食の議論をしたのです。
『ゴルギアス』の登場人物であるカリクレスも、ほぼ同じ内容の議論をしています。
(この点から、プラトンが正義について問題意識が非常に深かったことがわかる)

現代は弱肉強食の世界。なのになぜ私たちはのほほんと平和に暮らせているか?

つまり社会契約説的な正義のとらえかたでは、人生とは

「強者を目指すか? 弱者に甘んじるか?」

いずれかでしかないのです。

現代でも、社会契約説的な正義で、私たちは生きてますよね。
にもかかわらず、多くの人々はそのどちらにもなりませんね。

議論が必然的に導く自身の生き方を避けているのです。

ちなみにカール・ヒルティという近代ドイツの思想家に次のような叙述があります。
この記事の考察と親和性があるかと思うので、ご覧ください。

倫理的世界秩序に対する信仰を持たないダーウィン学派の自然科学的な見解。
これを倫理的に言い換えれば、
「強者は常に正しい」「権力は正義である」ということにほかならない。

その世界観の中では厳密に言えば、
ひとは利己主義者であるか、偽善者であるかのほかはない。

それなのに多くの人が、なおそのどちらにもならないのはなぜか?
それは、「自分の哲学の完全な結論を引き出すことを避けるから」である。

ヒルティ『幸福論』第一巻第七章、岩波文庫より

さて、ノモスとピュシスが対立しているのであれば、
利得ゆえに徳や正義を愛するレベル以上にはなりようがありません。

このソフィストの設定した図式に陥っているかぎり、正義をそれ自体として愛することはできません。
したがって、そういう人々は「偽善者か消極的快楽主義者」でしかない、ということになります。

二人の挑戦は、人々の心の奥にある「ピュシスとノモスの対立」思想を浮き彫りにさせます。
にもかかわらず、多くの人々は、相変わらず自分に害の及ばぬ範囲で正義を守ろうとします。

トラシュマコスやカリクレスは、そういった

  • 人々の自己欺瞞・自己矛盾的な点
  • 人々の生への無関心・みじめな利己主義

これらを痛烈に批判しました。

通常「ソフィスト的でろくでもない議論をする人物」と目されているトラシュマコスやカリクレス。

だからこの点に関してなら、彼らはかえって評価されるべき人物であるかもしれません。
彼らは自分の思想の行き着く先を妥協なく見据えているという点において。
(ただし議論のための議論をしている可能性もあって、言い切れない部分はあります。)

正義を守り奉じる人々の思想の行き着く先に、利得は無縁のはずです。
にもかかわらず、(グラウコンが示したように)はりつけにされると思えば皆が慄き、妥協しまいます。

このことは、本当に正義を奉じるには「それだけの覚悟がいる」ということを示しています。

人間はともすれば易きに流れ、見返りを求めようとします。
「自分はこれだけ正義を守って日々生きているのだから、報いがあっていい」
こんなことを考えもします。

それは仕方がないし、言っていることに嘘はないでしょう。

しかし、この心こそが、ほかならぬ「永遠の酩酊」(アデイマントスの挑戦)を求める心なのです。

こうしてみると、いったいプラトンは

  • どれほどの覚悟をもって『国家』を書くに到ったのでしょうか?
  • 『国家』の序盤でこの挑戦を自らにたたきつけることが、どれほど自分に不利に働くでしょうか?

そして2人の挑戦は、著者プラトンのみならず、

  • 読者として『国家』を読み解く人々
  • 私たちが抱いている「正義に対する認識」

これらを試しているように思います。

プラトン『国家』第2巻の要約は、こちら。

【プラトン『国家』第2巻要約と解説】ノモスとピュシスの対立

2016.11.29

高等遊民のnoteの紹介

 

noteにて、哲学の勉強法を公開しています。

 

現在は1つのノートと1つのマガジン。

 

1.【高等遊民の哲学入門】哲学初心者が挫折なしに大学2年分の知識を身につける5つの手順

2. 【マガジン】プラトン『国家』の要約(全10冊)

 

1は「哲学に興味があって勉強したい。でも、どこから手を付ければいいのかな……」という方のために書きました。

5つの手順は「絶対挫折しようがない入門書」から始めて、書かれている作業をこなしていくだけ。

3か月ほどで誰でも哲学科2年生レベル(ゼミの購読で困らないレベル)の知識が身につきます。

3か月というのは、非常に長く見積もった目安です。1日1時間ほど時間が取れれば、1ヶ月くらいで十分にすべてのステップを終えることができるでしょう。

ちなみに15000文字ほどですが、ほとんどスマホの音声入力で書きました。

かなり難しい哲学の内容でも、音声入力で話して書けます。

音声入力を使いこなしたい方の参考にもなると思います。

 

2はプラトンの主著『国家』の要約です。
原型は10年前に作成した私の個人的なノートですが、今読んでも十分に役に立ちます。
岩波文庫で900ページ近くの浩瀚な『国家』の議論を、10分の1の分量でしっかり追うことができます

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