プラトン『国家』テーマについての要約と解説!
プラトン『国家』はプラトンの主著と目されています。
ボリュームも当時の巻物で全10巻。
岩波文庫で2冊。『法律』に次ぐ分量です。
テーマとしては「正義について」という副題がつけられています。なので、
プラトン『国家』のテーマとは「正義について」です。
と答えることもできますけど、それではあまり内容が分かりません。
ここでは国家最大の問題提起となる、いわゆる「グラウコンの挑戦」について詳しく見ていきたいと思います。
この「グラウコンの挑戦」
さらに、これに続く「アデイマントスの挑戦」
この2つを理解すれば、プラトン『国家』の問題意識が、はっきりと見えてきます。
「プラトンの正義についての問題意識」
マイケル・サンデルの議論がおままごとに見えるような、
現代の正義論を遥かに凌駕する地点にあることが、分かってきます。
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プラトン『国家』の登場人物一覧 グラウコンとは誰?
まずは登場人物について。グラウコンとは、登場人物の名前で、プラトンの兄です。
「グラウコンの挑戦」とは、プラトン『国家』の第2巻に出てきます。
彼がソクラテスに対して「正義は損だ、という言説を退けてほしい」と願い出る、一連の主張を指します。
また、長兄のアデイマントスも登場しています。
この人物も「グラウコンの挑戦」に続けて
「アデイマントスの挑戦」とでも言うべき、重大な主張を提起します。
以下がプラトン『国家』の登場人物です。wikipediaより引用しました。
『国家』の登場人物
ソクラテス – 39歳-48歳頃。
ケパロス – シケリア島シュラクサイ出身の富豪。ペリクレスの招きでアテナイの外港ペイライエウスで30年間、居留民(非市民)として過ごす。本篇話者のポレマルコス、弁論作家として有名なリュシアス、エウテュデモスの父。
ポレマルコス – ケパロスの長男。リュシアスとエウテュデモスの兄。
トラシュマコス – カルケドン出身の弁論家・ソフィスト。
クレイトポン – アテナイの民主・復古派政治家。
グラウコン – プラトンの兄、アデイマントスの弟。
アデイマントス – プラトン、グラウコンの兄。
プラトン『国家』の目的は、正義と不正を語ること
『国家』における国家建設、本論は、
第二巻のグラウコンとアデイマントスの問題提起から始まります。
さて、『国家』の対話のそもそもの目的は何でしょうか。まとめると以下の2点です。
これらの2点を考察することが、『国家』第2巻以降の内容となります。
では正義と不正の考察とは、何を議論するのでしょうか?
グラウコンの挑戦では、正義と不正とは「行為に関すること」として考えられています。
ちなみに第一巻で登場するソフィストのトラシュマコス。
彼は、ソクラテスを相手取って、次のような主張を展開しました。
「正しいこととは、強者の利益になること。そして不正なことこそが自分自身の利益になり、得になるもの」(344c)。
”正義は世にも気高いお人よし・不正は計らいの上手な賢い人”であり、不正を徳と知恵に属する性質として、正義をその反対のものに属する性質として考えるべき(348de)。
この主張から、強者(支配者)となり、好き勝手に不正を行うことが、最も有利な生き方である。独裁僭主のやり方がちょうどこれにあたる。
このトラシュマコスの議論を受け継いで語られるのが「グラウコンの挑戦」です。
トラシュマコスの主張は、ソクラテスによって退けられました。
しかし、グラウコンは
「民衆(弱者・お人よし)もひとたび力を得れば、トラシュマコスと同じように独裁僭主的な考えになる」
こんなことを証明してしまいます。
プラトン正義論の背景:「ノモスとピュシスの対立」
グラウコンは自然状態についての議論をソクラテスに持ちかけます。
あたかも近代における社会契約論かと見まごう議論に驚きます。
『国家』(藤沢令夫訳、岩波文庫)より
上のような考えは、グラウコンによれば支配者のみならず多くの民衆が思っていること。
この人間像はアンティポンらソフィストがよく用いる議論です。
このようにして、民衆と支配者とソフィストとを一まとめにします。
そのうえで
「人間は本来、より多くを得ることを望むのであり、正義とは損得の中間的な妥協である」
と主張します。
この議論には「ノモスとピュシスの対立」という思想背景があります。
- ピュシスとは、自然を指します。
- ノモスとは、慣習・法律を指します
人間のピュシスとは欲望の充足である。
だから、それが人間の自然本来であり真の姿である。
そのピュシスを、ノモスが抑え付けている。
本来のピュシスからすればノモスは
- 思わく
- 偽り
- 弱者の恨み
にすぎない、という構図です。
ソフィストの主張によれば、
- ピュシスが真・善・美
- ノモスが偽・悪・醜
と見なされるのです。
つまりノモスによって規定された「正義」とはまやかしに過ぎない。
そして誰しも、
「したい放題の自由(自然本来の自由)を与えられたら、不正を進んで犯す(=ノモスを進んで破る)」
と主張しているのです。
ギュゲスの指環の物語:圧倒的自由を得たらだれでも不正をおかす
その決定的証明として「ギュゲスの指輪」の思考実験が語られます。
ギュゲスという羊飼いは、あるとき地震によって開かれた洞窟に入り、青銅の馬をみつけた。馬の体の空洞には金の指輪を付けた死体があった。
この指輪は玉受けを内側に回すと周囲から姿が見えなくなり、外側に回すと見えるようになるという不思議な力をもっていた。
ギュゲスは王に家畜の様子を報告する使者の一人となって宮殿に入り、王妃に近づいて姦通した。
それから二人で密謀して王を殺し、王位を簒奪した。
ギュゲスは豪富によってギリシャ人によく知られたクロイソス王の先祖である。
不正を犯さない自信があるだろうか?
人間誰しも心の内に僭主的欲望(気付かれなければ不正を犯し、利得を得たい欲望)を持っている。
そのことが、否定できない事実として証明されます。
ギュゲスの指環さえ手に入れば、
- 善人だろうが悪人だろうが
- 平民だろうが支配者だろうが
等しく同じ行動に走るのではないか?
ギュゲスの指環の物語で語られていること。それは
人間誰しも「ノモスとピュシスの対立」の思想に心の奥底では支配されている
ことの証明となります。
いかがでしょうか? これだけなら
「いやいや、わたしはギュゲスの指環を手に入れても、警察に届けるし。」
と強弁することもできそうです。
じつは、グラウコンの主張はこれだけに留まらないんです。
半端じゃないですよ。
グラウコンはギュゲスの指環の物語に続けて
「完全に正義の人と完全に不正の人」
というふたりを想定し、彼らの生涯を描きだします。
しかもその生涯は、「公平」を期さねばならない。
「正直者は報われる」みたいな話ではダメだ! というのですwww
なので、
- 「完全に正義の人は不正の人」と見なされ、
- 「完全に不正の人は正義の人」と見なされる
そのように仮定します! そうすれば、
「(法廷やあの世で)罰を受けたくないから、悪いことをしない」
という「消極的な正義を排除できるから」という徹底ぶりです。
さて、グラウコンはふたりの生涯を次のように描きます。
その時こそ正義を恨み、「正義であることよりも、正義と思われることこそ望むべきであった」
と悔やむだろう。
他方、不正の人は支配権力をにぎり、一切を思うがままに手に入れられるだろう。
さて、あなたは
- 正義の人の人生と
- 不正な人の人生
どちらを選びたいと思いますか?
まとめ プラトン正義論に比べたら、ハーバード白熱教室なんかおままごと
以上、
- プラトン『国家』のテーマ
- グラウコンの挑戦
について、ご紹介しました。
人間は正義を追求する意義があるのか?ソクラテスさん、教えてください。
これが『国家』で語られる長大な話の発端です。
古代ギリシアにして、正義についての、とてつもない問題提起がなされています。
現代の正義といえば、たとえばロールズの「無知のヴェール」の議論
こういうのは「正義や公平を既によいもの」として前提しているのです。
それに比べれば、プラトンの問題意識は、
現代の正義論を遥かに凌駕する地点にあるのではないでしょうか?
しかも、プラトンの問題提起は、これだけにとどまりません。
グラウコンの挑戦に続く、さらなるおそろしい問題提起があるのです。
その続きは、こちらの記事で紹介しました↓
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