このブログは、プラトンに関する次元の低い記事ばっかり書いている。
それでももし「プラトンの入門書にふさわしい1冊としておすすめは何か?」と聞かれたら、躊躇なく勧める本がある。
納富信留『プラトン』(NHK出版)という本だ。
納富信留氏は、東大の博士課程を途中で中退し、ケンブリッジ大学に留学し、プラトン後期著作『ソフィスト』の研究によって、博士号Ph.Dを取得する。
その後、いわば凱旋帰国し、九州大学の講師に就任、のち、慶應義塾大学教授、国際プラトン学会会長などを歴任し、2016年より東京大学の教授に就任した。経歴を見れば、とんでもないエリートだ。
ちなみにプラトンの『ソフィスト』という作品を主題にした研究書は、日本でも海外でも、納富信留氏の研究しかない。
これほどの歴史で、たった1冊しかないのである。(もちろん、古代での新プラトン主義による研究や、現代の研究論文などはあるにしても、単著(モノグラフ)としては。)
ちなみに「血気盛んな」という枕詞の意味は、おいおい明らかになるはずである。
さて、NHK出版の入門書のほうだが、それは以前にも簡単に紹介した。
(関連記事)プラトン入門の推薦書:納富信留とジュリア・アナス
今回は、納富氏が本書の巻末・あとがきの読書案内で、プラトン作品をどう読んでいったらいいのかを案内しているので、それを抜粋してみようと思う。
現役東大教授が勧める、プラトンの読書案内だ。
下記クリックで好きな項目に移動
まずはプラトン自身の書いた対話篇(たいわへん)を読め!
プラトンに向きあうには、まず、対話篇を読むべきである。
納富信留『プラトン』NHK出版(2002)より。(以降の引用も同様)
とにもかくにも、まずはプラトンの作品と向きあってみよう、という提案。
いきなり哲学者の作品そのものにチャレンジするのは、敷居が高いのではないか? そんな向きもあるかもしれない。
しかしプラトンは近代以降の哲学のように「何を言っているのか1ページも分からない」という部分は少ない。
だから、意外に読むだけならプラトンはいきなり取り組んでも大丈夫だ。
しかも、結構楽しんで読めるものも多い。
では30作品以上あるプラトン対話篇を、どの作品から読んでいけばいいのか?
「プラトン入門の道しるべ」みたいなのは、じつは古代からあった。
それぞれの学派によって「この作品から読んでいって、最後はこれだ」みたいなステップアップ・段階があった。
さて、納富氏がすすめる最初の1冊はこちら↓
東大教授が勧めるプラトン最初の1冊は『ゴルギアス』
弁論術の大家ゴルギアスを相手にソクラテスが対話を始めるこの作品は、やがて、「正と不正」、生き方の選択へと議論を深化させていく。
平易な文体で展開されるドラマと問題そのものの迫力は、プラトン対話篇の魅力を示すのに相応しい。
他方で、第三の対話相手カリクレスは、ニーチェが大きく共鳴した人物とも言われ、ソクラテスに賛同するか反発するかは、読者に委ねられている。
「弁論術とは何か」とソクラテスがゴルギアスに問いかけていくことから対話が始まる。
ゴルギアスの弟子ポロス、政治家カリクレスと対話相手を替えながら、テーマが「正と不正」「生き方の選択」と人間の生にとって、より根本的な対話となっていく。
『ゴルギアス』を読んだその後は、いくつかのルートに
上記のように『ゴルギアス』は様々なテーマや対話の要素が入っている。
だから『ゴルギアス』を読んで各自がおもしろいと感じたところに応じて、次の対話篇を手に取ろう。
徳の吟味や、1対1の対話の進行(劇的・物語的要素)に魅力を感じる人
→いわゆる初期対話篇を読もう。
いわゆる初期対話篇とは『ラケス』『リュシス』『プロタゴラス』などを読んでみるのがいい。
『ラケス』は講談社学術文庫に。『リュシス』は世界の名著に。『プロタゴラス』は光文社古典新訳文庫に翻訳がある。
魂や正義の問題に関心がある人
→いわゆる中期対話篇を読もう。
魂や正義をテーマにした対話篇は『パイドン』『国家』の2つが重要。
『パイドン』は一応岩波文庫にもあるが、できれば「プラトン全集版」松永雄二訳(岩波書店)がよい。(訳も解説も全く異なる。)
『国家』は岩波文庫しかない。新しい翻訳が待たれている作品。
ソクラテスその人に興味がある人
→『ソクラテスの弁明』『クリトン』を読もう。
『ソクラテスの弁明』は、いわゆる「ソクラテス裁判」のプラトンによる再現。納富氏の翻訳がある。
『クリトン』は、死刑宣告を受けて服役中のソクラテスに対して、同年代の友人クリトンが脱獄を誘うという物語。
対話篇をある程度読んだら? 解説書を3冊
納富氏は、対話篇をある程度読んだら、日本の学者によるプラトンの研究書を手に取ることをすすめている。
初期については加藤信朗『初期プラトン哲学』
中期については松永雄二『知と不知』
後期については納富信留『ソフィストと哲学者の間』
後期対話篇の研究書というのは、上記の納富氏の研究書をのぞけば、実はほとんどなかったりする。
それに後期対話篇はそれ自体難解で、いきなりチャレンジするのは厳しい。(たとえば『ソフィステス』『ポリティコス』『ティマイオス』『クリティアス』)
プラトンの後期対話篇については文庫『法律』をのぞけば1冊もない。
だから一般庶民にとっては窺い知ることのできない、いわば「閉じた世界」になってしまっている。(もっとプラトンをよこせ!)
以上が、血気盛んな東大教授によるプラトン入門でした。
まとめ:「血気盛ん」とは? あとがきでの挑戦的な言葉
さて、読書案内をここまでご覧頂いた方は「いったいどこが血気盛んなのだろうか」と思われたかもしれない。
それは『プラトン』(NHK出版)の「あとがき」なのだ。
これ(NHK出版の本)は異端の本である。
ここでは、プラトン哲学の解説書できまって説明される「初期/中期/後期」の区分や、「歴史的ソクラテス/プラトン的ソクラテス」の区別が全く論じられない。(中略)「想起説」や「魂の三分説」については触れられてさえいない。
……しかし、通常のように、プラトンについてあれこれもったいぶって解説することに、どれほどの意味があるのか?
「プラトン哲学」が、それ自体として哲学になっていないとしたら、それは「哲学」の名のもとに哲学を殺す、二重の罪ではないか。
これほどまでに挑戦的な言葉で書かれたプラトン入門書はほかにない。
確かに、ウケを狙ってなのか、斜に構えた口を聞いたり、大口を叩く学者というのは時々いる。
ただしその大半は、大した業績もない学者であることが多い。要するに、チンピラ学者である。
しかし納富氏は冒頭でも述べた『ソフィスト』の研究のような、画期的な業績がいくつもある。
紛れもない大学者であり、プラトン研究のもはや第一人者・ナンバーワンである。
そのような学者が、これほどの挑戦的な言葉を書き残しているということに、何か重大な問題があるのかもしれない。