教育学の名著 堀尾輝久『現代教育の思想と構造』の読書メモ・要点のまとめを作っています。
全4回。今回は4回目で、第2部第2章です。
第二章 「教育と平等」をめぐる問題―教育の機会均等論批判
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第一節 問題設定
・現代教育の指導理念とされる、教育機会均等原則の検討。当たり前の概念のようで、実は意味が曖昧で、原則が十分実現されていない。
・自由と平等。「教育における正義の原則」をより包括的な原理に。
第二節 機会均等概念の歴史的検討
一 古典近代における自由と平等
・市民革命は人権の平等を理念に確立された。
・近代は、自由で平等な社会が人間の自然状態と考えた。権利の平等、道徳・法律上の平等。機会均等は自由と平等の調和を保障する原理。
・18世紀啓蒙思想は、人間の不平等を環境と教育の差異に還元して、ここから人間平等の主張と人権としての教育の思想を導出。ひとりひとりを理性的人間に育てるための「知育」。
・資本主義は人間の平等を唯物論的(労働価値?)に定着させた。
二 資本主義の展開と平等・機会均等の変質
・資本主義が実質的不平等(富と貧困)を拡大する。平等(人間労働の通約性)とは、平等に搾取されること、自由(な労働力)とは、資本への従属を意味した。
・ここでの機会均等原則は、競争の自由と実質的不平等の合理化の原理としてはたらく。
・デュルケーム:分業が不平等を生むとしても、分業は社会進歩の源泉。不平等を是認。
・アメリカ的自由の哲学:自由である限り、不平等など原理的に存在しない。平等ではなく公平であるべき。
・資本主義のもとでは、平等はせいぜい機会の均等にすぎない。しかも「不平等になる機会の平等」
・機会均等の原則は、階級社会の現実と不可分に結びついている。平等思想の系譜に属するのではなく、むしろレッセ・フェール(競争の自由)原則の系譜。
三 教育の機会均等の特殊性
・機会均等原則の積極的側面:古典的デモクラシーの原理の徹底と、社会・経済的平等要求との積極的結合の可能性。*どうせ労働者の権利要求と自己教育という話。
・しかし同時に、平等思想を偽装しつつ、既存の体制維持のための欺瞞的役割を果たしている。
・教育の公正の要求(能力と適正に応じた教育の要求)もまた、資本主義的分業体制の要求に応ずる教育の分化の要求を意味するにすぎない。
第三節 今日における「教育と平等」の問題点
一 平等・公正・均等概念の再吟味
・これらの原則を、人権としての教育思想、および平等思想との連関においてとらえなおすことによって、その現代的意義と有効性を甦らせることができる。
・今日の平等思想は、資本主義の科学的分析を媒介とする経済的実質的平等の要求・階級廃止の要求に収斂される。
・公正は人間のゆたかな諸能力と多様な個性の発展のための原則。
・機会均等原則は、公正原則の実現を保障するもの。
二 教育における公正・均等―正義
・教育における公正原則は、子どもの人権と学習権思想を前提とする個性化の原理であり、その実際的保証として教育機会への配慮を要請する。
・人間的ゆたかさの十全の開花が可能であるためには、社会的・経済的不平等ないしは非人間的な環境をなくすことが不可欠。「階級の止揚」の要求として自覚化されねばならない。*無茶いうなよ。
・デューイ「貧富の懸隔を実際に緩和し、広大な設備と能率をもった学校施設を提供しなければならない……この理想は、とうてい実現不可能だと見えるかも知れない。しかし、この理想が、われわれの公教育制度を支配するに至らなければ、民主的教育の理念は茶番劇ないしは悲劇的な妄想にすぎないものとなるのである」『民主主義と教育』
・教育における公正の理念は、経済的不平等の除去と、社会的環境の整備を前提とし、新しい社会の発展的構成原理と結びつくことによって(?)、さらに、子どもの発達についての科学と、教材における科学的真実と芸術的価値をその教育内容構成上の準則とすることによってはじめて、それは既存の社会への適応の理論ではなく、人間のゆたかな可能性の解放と、社会の進歩の原理となりうる。(cf.ランジュバン・プラン)
・この「人権としての教育」の思想が現実に可能であるためには、生産力の増大と、その合理的配分が不可欠の条件。
・教育の公正の理念は、一方で社会経済的平等と、新しい社会構成原理を要請し、他方で機会均等原則をその系として要請する。公正の理念を中心として、以上のように構造づけられた機会均等原則と社会経済的平等の要求を一括し、ランジュバンにならって「教育における正義の原則」と呼ぶ。
おわりに―ヒューマニズムとしての教育
・教育の公正と機会均等の思想は、資本主義的分業に応え、ヒエラルヒッシュな社会体制の再生産と、そのための人材選抜・選別と差別の原則として、資本主義の危機の深化に対応する福祉国家の思想、具体的には、国家を主体とする義務教育の思想と結びついて現実的に機能した。
・自然的不平等自体、社会的・文化的環境(教育を含む)の平等化への努力によって、それが自然的個性(の差異)へと止揚されうる可能性を残していることこそが強調さるべき。
・ヒューマニズムとは、人間が、人間と人間および人間と自然の矛盾を、理性と科学の光のもとで、人間の手によって、動物的にではなく理性的に解決すること。
・適者生存・優勝劣敗という進化論の真実は、人間的自由を、自己のものとなしえた段階においては、すべての人間が適者になることによって意味を失う。
・こうして、社会的不平等を、自然的不平等によって合理化した時代はさり、逆に社会的・人為的平等化の促進が、自然的不平等を減少させ、すべての人間が等しく大切にされる社会で、自然的差異にもとづく多様な個性と、人類の文化を継承した豊かな人間性が花開くことが期待されえよう。そこではじめて、自由と平等の真の調和という人類の夢が、人間の全面発達という教育の古典的理念が、現実性をもって甦ってくるであろう。