司馬遼太郎の性格や経歴は?生い立ちや本名。名前の由来のエピソードが面白い

歴史が好きな人でも、あまり好きでない人でも一度は司馬遼太郎の作品を本で読んだり映画やテレビで見たりした事ありますよね?

 

作品にふれる機会はあっても、司馬遼太郎ってどんなひとだったのでしょう?

かく言う私も調べるまでペンネームだったと知りませんでした。

 

多くの作品を世に出した司馬遼太郎作品だけでなく、生い立ちとエピソードがスゴすきたのです。

そこで

  1. 司馬遼太郎の生い立ちとは?
  2. 司馬遼太郎の経歴は?
  3. 司馬遼太郎のエピソードからみる遼太郎の性格は?

について書いていきます。

 

司馬遼太郎の生い立ちとは?

1923年(大正12年)生まれ 本名は 福田定一(ふくだていいち)

大阪で薬局を営む父の次男として生まれました。

 

学校嫌いで、図書館と本屋があればいいと考える少年もやがて大阪外国語学校(現在の大阪大学外国語学部)に入学します。読書好きはこの頃も続いていてのちにペンネームになる司馬遷の『史記』を愛読していました。

 

ちなみにペンネームの由来は『司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)』

 

その後第二次世界大戦の影響で、司馬遼太郎も戦争経験をしますが栃木県で陸軍少尉で終戦をむかえます。戦地からの復員後新日本新聞社、その後産経新聞社に入社します。

記者としての仕事をしながら小説を書いていたのですが、後の歴史小説を執筆するネタになる色々な出会いがあったと後日語っています。

 

記者時代に投稿した作品は、やがて海音寺潮五郎から絶賛される等徐々に世間から注目され始めます。そんな中1960年(昭和35年)『梟の城』で直木賞を受賞します。翌年新聞社を退職し、本格的に作家活動に入ります。

 

子供頃からの本の虫で、本を読み漁って最後は読む本無くなって釣りや将棋の本にまで手を伸ばしたという膨大な読書量から得た知識や新聞記者になって取材で得た、本からだけでは入手できない情報を得たといいます。

新聞記者の仕事をしながら、小説家としての経験を積み上げていった有名になるまでの経歴は、本人の意思はもちろんありますが後の『日本の歴史小説家 司馬遼太郎』になるべくしてなった運命のように感じます。

 

有名になるまでの生い立ちから常人とは違いスゴすぎた!わけですね。

次は有名になってから(直木賞受賞後の司馬遼太郎)書いていきます。

 

司馬遼太郎の経歴は?

直木賞受賞以降数多くの作品を、世に送り出している司馬遼太郎ですが、たぶん読んでいる方でも聞いたことある作品をあげていくと

  •  1963年(昭和38年) 竜馬がゆく
  •  1965年(昭和40年) 国盗り物語
  •  1966年(昭和41年) 新史太閤記、関ケ原、城塞
  •  1969年(昭和44年) 坂の上の雲
  •  1971年(昭和46年) 街道をゆく
  •  1975年(昭和50年) 播磨灘物語、翔ぶが如く
  •  1980年(昭和55年) 項羽と劉邦

 

このほかにも多くの作品が執筆されています。

そのいくつかの作品は後日映画やテレビドラマの原作に選ばれ、小説を読んでいない人々にも司馬遼太郎の名前は記憶に残っていきます。

このほか表彰等でまとめると

  •  1960年(昭和35年) 直木賞
  •  1972年(昭和47年) 吉川英治文学賞
  •  1981年(昭和56年) 日本芸術院会員
  •  1991年(平成3年)  文化功労者に選ばれる
  •  1993年(平成5年)  文化勲章受章
  •  1996年(平成8年) 従三位追賜

 

ほかの人では真似できない小説家としての経歴を総なめしていくわけですから、その経歴は言うまでもなくスゴすぎます!

 

エピソードからみる司馬遼太郎は?

司馬遼太郎の作品を、小説を読んだりテレビや映画で見た事はあっても性格やエピソードは知らない方が多いのではないでしょうか?

次は司馬遼太郎のエピソードを紹介していきます。

 

  1.  子供の頃から読書家だった彼は、デパートの本屋で立ち読みの常習犯でした。当時の店の担当者が文句を言うと『そのうち、ここらの本全部買いますから・・』と言い返します。結局この時、吉川英治の宮本武蔵全集を立ち読みで読破しています。
  2.  ある友人と話していた時、その友人がコーヒー一杯を飲んでいる間に、文庫本くらいの本を一冊読めるほど速読できた。
  3.  執筆活動のための、資料収集時には一度に巨費を投じて買い集めるので関連する古書が業界から消える事が度々あった
  4.  名字とその人の顔から、出身地や祖先を言い当てる特技があった
  5. スポーツはあまり関心がなく、直木賞を受賞する頃住んでいた同じアパートに当時の南海ホークス主砲の野村克也も住んでいたが昼過ぎに出かけていき、深夜帰ってくる野村を名前も知らなかったため、怪しい大男として見ていた。

 

歴史小説の司馬遼太郎といえば、作品の多さから感じませんが執筆のための資料収集への熱意はスゴすぎます。

仕事への熱意がその分野の第一人者へ押し上げていることから言えば天才というより大変な努力家だったんですね。

まとめ 司馬遼太郎の性格や経歴は?生い立ちや本名。名前の由来のエピソードが面白い

司馬遼太郎の性格や経歴は?生い立ちや本名。名前の由来のエピソードを紹介しました。

 

司馬遼太郎についてまとめてみます。

  1.  子供のころから、学校は嫌いだけど本の読書は好きで人間は本屋と図書館があれば生きていける思うほどの読書家
  2.  執筆のための情熱はすごく、その為の資料収集に巨費を投じる為にその分野の古書資料が姿を消すほどだった
  3.  第二次世界大戦で戦地へ行った経験から、『なんとおろかな戦争をしたことか』という思いと『かつての先人達(鎌倉から明治時代まで)ならこんな事にならなかったろう』という思うから、趣味で始めていた小説執筆を綿密な調査をして執筆するようになった

 

多くの作品が執筆され、歴史小説としての本だけでなく映画やテレビ映画でも多くの人の目に触れてきた司馬遼太郎作品

ただの読み物としてだけでなく、読んだ人に更なる歴史探求のたびに出させたくなるような魅力があると私は感じています。

 

司馬遼太郎の作品に興味を持たれた方は、是非ご覧ください。

 

作品も多く下記の『司馬遼太郎記念館』のサイトに紹介されています。

大阪方面に旅行された時などに、足を伸ばされてみてはいかがでしょうか?

私も今回調べて初めて知ったので行ってみます。

司馬遼太郎記念館 公式サイト

 

以上、「司馬遼太郎の性格や経歴は?生い立ちや本名。名前の由来のエピソード」でした。

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