芸術的な文章から現在でも評価の高い“耽美主義”の文豪、「谷崎潤一郎」。
最近は漫画やゲームでも登場していますし、彼の名前を知っている方は多いのではないでしょうか。しかし、そういった経緯で谷崎を知った方は、彼が残した作品や本人が持つエピソード等は知らない方が大半だと思います。
ですが、それでは勿体無い程に谷崎は(色んな意味で)魅力的な人物なのです!
今回は谷崎潤一郎の
- 谷崎潤一郎の生い立ちとは?
- 谷崎潤一郎の経歴は?
- エピソードから見る谷崎潤一郎の性格とは?
をご紹介します!
ポイントは以下の通りです
- 幼少期の谷崎は神童として皆に期待され、飛び級すらも成し遂げた驚異の秀才!
- エロティックな描写も変態的描写も芸術的? 耽美主義功労者としての谷崎とは。
- 友人と嫁を取り合った? 泥沼三角関係とは!?
下記クリックで好きな項目に移動
谷崎潤一郎の生い立ちとは?
谷崎潤一郎は1886年(明治19年)に東京都で生まれました。潤一郎、という名前に反して彼は次男です。
しかし、谷崎家の長男熊吉は生後3日で亡くなってしまったため、潤一郎は長男として出生届を出されています。(つまり、谷崎は次男ですが、戸籍上は長男なのです)
少々特殊な出生を持つ谷崎は非常に頭の良い子に育ちました。
谷崎の実家が経済難に陥り、上級学校への進学が危ぶまれた際には、なんと学校の教師達がどうにか谷崎を進学させようと働きかけたようです。一体どれだけ賢かったのでしょうね……。
教師達の助言により、谷崎は住み込みの家庭教師として働きながら進学する道を選びました。進学先でも谷崎の才は衰えを知らず、相変わらず教師達を驚かせる程に優秀な成績を収めた谷崎は『神童』と呼ばれる存在になっていきました。
あまりに賢かったので、二年生になった谷崎は校長に「一旦退学して上の学年に編入しなさい」と勧められます。要するに編入試験を利用した飛び級です。
「そんな無茶苦茶な!」と思われることでしょう。
ですが、谷崎はやはり『神童』でした。具体的にいうと……
- 編入試験に当たり前のように合格してみせる。
- 飛び級後もやっぱり成績は超優秀。
- それどころか年上の同級生達を差し置いて学年トップの成績を叩き出す。
……という偉業を成し遂げています。(なんということでしょう……)
谷崎の得意科目はどうやら数学だったようなのですが、それとは別で文章を書くことを非常に得意としていたようです。小説家としての才が非常に若い段階で花開いていたようですね。
谷崎潤一郎の経歴は?
秀才谷崎は大学に進学するも、学費未納で退学しています。ですが、在学中に創刊した文学雑誌で作品を発表しており、特に小説『刺青』は(谷崎曰く)処女作であると同時に彼の代表作のひとつとして数えられています。
主な作品には、以下の物が挙げられます。
- 小説『刺青』(1910年 明治43年)
- 小説『痴人の愛』(1924~1925年)
- 小説『春琴抄』(1933年 昭和8年)
- 随筆『陰翳礼讃』(1933~1934年)
- 小説『細雪』(1944~1948年)
- 小説『少将滋幹の母』(1949~1950年)
- 小説『瘋癲老人日記』(1961~1962年)
谷崎の小説は作風や題材が偏らず、さらには漢語や俗語、方言までも多彩に使いこなしているとして、現代でも非常に評価が高いです。
特に当時の天皇陛下までもが評価していたという小説『細雪』の名前は皆さんもどこかで一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
谷崎のデビュー当初は飾らず、ありのままの自然な姿を発信する『自然主義文学』が主流だったのですが、谷崎の作品は物語性が非常に重視されていました。
かなり早い段階で永井荷風に見出されたこともあり、谷崎が描く物語の独自性と確かな表現力は多くの文学者達に注目されました。
エピソードとしての谷崎潤一郎の性格とは?
谷崎潤一郎の面白い・独特なエピソードとしては、以下の物が挙げられます。
- 女性に対する思いが強すぎ!? 小説に描かれる男性達の姿は谷崎の欲求?
- どうしてそうなった!? 親友と妻を取り合って三角関係勃発!
- 死ぬ間際まで諦めない! 谷崎の小説執筆への情熱がすごい!
上から順番に紹介していきましょう!
1.小説に出てくる男性が少々特殊なようで
谷崎が残した小説の中でも、「谷崎らしい」と言われている作品としては『刺青』、『痴人の愛』、『春琴沙』、『富美子の足』などが挙げられます。
以上4作品についてネタバレにならない程度(?)に抜き出すと、大体このような内容を含みます。
- 女性の美しい皮膚が好きすぎる(刺青)
- 女性の足が好きすぎる(刺青、富美子の足)
- まるで光源氏のようだ(痴人の愛)
- 経緯はどうあれ女性に対する献身が凄まじい(痴人の愛、春琴沙)
谷崎自身の考えなのかはさておき、彼の作品はとにかく女性の美しさ、女性の大切さを主張する男性が主役になっている作品が多いです。
話の内容もエロティックなものやマゾヒズムな要素を含むものが多く、そのような作風を嫌う、古い価値観を持つ人々からはあまり受け入れられなかったようです。
しかし、このような少々過激な内容を多様で美しく、繊細な表現を使いこなし、芸術に昇華させたのが谷崎の凄さなのです。
彼や永井荷風のように『美』を最上のものとして追求した作家を“耽美主義”と言いますが、谷崎にとっての美はまさに、『女性』そのものにあったのでしょう。
余談ですが、谷崎は「光源氏は自分勝手すぎる」という理由であまり源氏物語が好きではなかったようです。(谷崎は源氏物語の現代語訳をしていました)
『痴人の愛』も若干源氏物語に通じる部分があるのですが、話は全く違う方向に向かっていきますし、女性は大切にすべきだという思いが谷崎の中にはあったのでしょうね。
2.もはや不倫とか浮気とかそういうレベルではない事件
女性を大切にした作品を多く残した谷崎ですが、彼と切っても切り離せない事件が『小田原事件』と『細君譲渡事件』です。
両者をざっくりと説明すると、
1.谷崎の親友、佐藤春夫が谷崎の妻、千代に恋慕する(!?)
2.千代の妹に想いを寄せていた谷崎(!?)は佐藤に妻を譲渡すると約束する(!?)
3.千代の妹に振られた谷崎は約束を反故にし(!?)、激怒した佐藤と絶縁する。
4.その後、なんやかんやで佐藤と千代は結ばれ、谷崎と佐藤の仲も修復する(!?)
……こうなります。
物凄い展開が連続していて、あまりの情報過多っぷりに「一体何が起こっているんだ」となりますよね。ちなみに千代の妹、セイ子は15歳だったそうです(!?!?)
1~3までの流れが『小田原事件』、4が『細君譲渡事件』と呼ばれています。
まるでフィクションのような実話でした。(この事件をモデルにした作品は色々と出回っていますが)
3.谷崎は例え、手が麻痺しても執筆を諦めなかった。
谷崎は晩年、高血圧症、腎不全に心不全、脳血管の異常や狭心症と多くの不調に苦しみました。
特に作家としての彼を苦しめたのは視覚障害と右手の痛み、後の麻痺でしょう。
幸いにも視覚障害は一時的なもので済んだのですが、高血圧症で倒れた際に右手を負傷し、痛みを抱えながらも執筆を続けた彼を最後に襲ったのが右手の麻痺でした。
右手が麻痺してしまえば、もうペンを取ることは出来ません。原稿用紙に文字を綴ることは出来ません。しかし、それでも彼は口述筆記で物語を描き続けました。
谷崎は79歳でこの世を去る直前まで、作品を書くことをやめなかったと言われています。
不調が出た時点で心が折れてしまってもおかしくはありません。それでもペンを取り続けた谷崎の物語への情熱は、決して生半可なものではなかったということですね。
まとめ 谷崎潤一郎の経歴と性格はどんな人?生い立ちとエピソードが面白い!
最後に、谷崎潤一郎についてまとめておきます。
・ 谷崎潤一郎は明治~昭和を生きた耽美主義の文豪である。
・ 谷崎潤一郎は『神童』と称され、幼い頃から文章を書くのが好きだった。
・ 谷崎潤一郎は『女性』に『美』を見出していた。
・ 谷崎潤一郎の物語への情熱は最期まで潰えなかった。
『神童』として讃えられ、後に現代まで名を残す大文豪となった谷崎潤一郎。
生前はノーベル文学賞にノミネートし、受賞目前の位置まで上り詰めたこともある、世界的作家でもあります。(彼が死去した後、1968年にノーベル文学賞を受賞したのが川端康成です)
現代では彼が残した作品の傾向から『ド変態』だとか『ドM』だとか散々な言われ方をしていることもありますが、谷崎の作品には確かな美しさがあります。
代表作にして最高傑作と呼ばれている『細雪』は長編ですが、彼は『春琴沙』など短編も多く出していますので手に取りやすいのではないかと思います。
谷崎の描く、官能的で情熱的な『美』を、皆様も是非体験してみて下さい。
以上、「谷崎潤一郎の性格と経歴・生い立ちと面白いエピソード」でした!