- ある朝目覚めると虫に変身していたセールスマンを描いた『変身』、
- ある日突然逮捕され裁判にかけられてしまう銀行員を描いた『審判』
など、不条理な世界を表現し続けた作家フランツ・カフカ。
彼の作品を一度読んだ方は、その不思議な世界観に衝撃を受けたことでしょう。
こんな変な作品を書いたカフカは、やっぱり相当変わった性格と経歴の持ち主なのでしょうか?
作品からイメージされる作家の姿は、あまり普通のひとには思えませんよね笑
というわけで今回は、フランツ・カフカの性格と経歴をご紹介したいと思います!
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カフカの生い立ちは?
フランツ・カフカは1883年、プラハのユダヤ人商家の家に長男として生まれます。
ユダヤ人としての出自は、カフカのアイデンティティに根深く影響を与えました。
当時、プラハにはドイツ人とチェコ人とユダヤ人が住んでいました。
もともとプラハは中世から続くチェコ人の街でしたが、その当時は政治的にはドイツ人が中心になっており、公用語もドイツ語が使用されていました。
そして、ドイツ人の多くは資本家階級に属し、チェコ人は労働者のほうに属していました。
そのため、ドイツ人とチェコ人の間には少なからず対立があり、通う学校なども分かれていました。
ではユダヤ人はこのなかでどのような立場にあったのでしょうか?
歴史的にみれば長らくヨーロッパのなかで差別されてきたユダヤ人でしたが、19世紀になると、普通の一般市民のドイツ人に同化して生活を送るものも多くいました。
プラハという街のなかでユダヤ人は、ドイツ人からみれも、チェコ人からみても、ドイツ人になりすました別民族であり、ドイツ人とチェコ人の対立関係において微妙な立場にありました。
カフカもそうしたユダヤ人のうちの一人です。
彼の父は、他のドイツ人と同じように自身の店でチェコ人たちを労働者として雇い入れ、息子にはドイツ人と同じ学校、大学に通わせました。
そのため、カフカは、プラハ出身のユダヤ人でありながら、ドイツ語を母語として話、作品もドイツ語で執筆しました。
カフカの経歴と代表作は?
社会のなかに馴染めない感覚……このような感覚をカフカは持ち続けていました。
母語のドイツ語ですら、彼にとってはホンモノには思えなかったのです。
さらに、明確にユダヤ人の意識をもっていた父母と幼少からドイツ社会に生きていた自分との間にもギャップも彼は意識していました。
カフカの初期代表作は変身
そんなカフカの代表作に『変身』があります。
この作品は、主人公グレゴール・ザムザがある朝目覚めると虫に変身していた!
という衝撃的な冒頭から物語がはじまります。
物語では、変身した主人公と仕事、主人公と家族の関係が描かれ、物語終盤では愛する家族の残酷な一面が暴露されます。
- ほんとうの自分はどこにあるのか?
- 家族とは何だろうか?
というメッセージをこの作品からは読み取ることができるでしょう。
カフカの後期代表作は城
また、後期の代表作として『城』という未完の長編小説があります。
主人公Kは、ある日とある城下町にやってきます。
城からの仕事の依頼できたというKに対して、町の人々はよそ者扱いをし続けます。
肝心の城からも連絡は来ず、こちらから城に出向こうと思ってもなぜか城にはたどり着けない――
この話の中には、カフカ自身のユダヤ人としてのアイデンティティが反映されているということができるかもしれません。
エピソードから読むカフカの性格と人柄
カフカは実はサラリーマンだった!?
実は、カフカは生前、わずかな例外を除いてほとんど作品を出版しませんでした。
カフカの作品が世に伝わるようになったのは、彼の死後、友人のマックス・ブロートが彼の原稿をまとめて全集を出版してからです。
つまり、カフカは作家としては全く食べていなかったということです。
では、彼は何をして生計を立てていたのでしょうか?
カフカは大学で法学を専攻していました。
大学卒業後、「労働者傷害保険協会」という半官半民の保険会社に勤め、肉体労働者たちの保険業務を担当します。
そう、カフカの本業はなんと普通のサラリーマンだったのです!
カフカがサラリーマンとして執筆した、労働者の仕事環境や建設現場での事故に関するレポートが残っています。
その他、社内の様々な報告書や広報資料などの執筆をカフカは担当していました。
サラリーマンとしてカフカはかなり優秀だったようで、第一次世界大戦の際には、業務に欠かせない人物であるという会社の申請書によって、徴兵を免除されています。
仕事場でのカフカを知るひとは、彼について「非常に礼儀正しい紳士」と回想しています。
優しいほほえみで会釈を返し、ほかの担当者と違って労働者を相手にするときは静かに優しく声で話す、とても感じのいいひとだったといいます。
カフカは健康オタク!?
カフカの意外な一面に健康オタクという顔があります。
1904年に出版されベストセラーとなった『マイ・システム 健康のための毎日15分運動』という体操の指南書をカフカは愛読し、この体操を毎日の習慣としていました。
そればかりか、当時の恋人や周りの友人たちにもこの習慣を積極的に勧めていました。
そのほかにも、水泳やボート、乗馬、オートバイ、などスポーツを通じて積極的に体を鍛えようとしていました。
ボートにいたっては、専用ボートを川べりに常備しておくほど、はまっていました。
当時のドイツでは、自然の中を裸で生活する(いわゆるヌードビストビーチのようなスタイル)というのが自然的で健康にいいとされて流行になっていました。
カフカは、そうした生活にも関心があり、友人とともにそのための専用施設に見学に行ったりもしています。
さらに、カフカは日々の自分の食事にも気をつかっていました。
アルコールやコーヒーといった嗜好品はほとんどとらず、肉も控え、ベジタリアンに近いメニューを好んでいました。
これらのエピソードからは、彼の作品からは考えられなような、驚くほど真面目で健康志向な作家カフカの姿がみえてきます。
カフカは、周りの人間にも細やかな気配りができ、かつ自分の身体にも異常に気をつかう、繊細な性格だったということができるでしょう。
カフカはラブレター狂!?
最後に、カフカの変わった一面もご紹介しましょう。
カフカは、3人の女性と恋人関係に発展しました。
しかし、実際にともに生活を送ったのは最後に彼の死を看取ったドーラという女性だけで、ほかの二人とはもっぱら手紙だけでやり取りをしていました。
そんな彼が恋人たちに送ったラブレターをみると、彼のすこし変わった姿をみてとることができます。
例えば、最初の恋人フェリスに対して、カフカはほとんど毎日といってよいほど頻繁に手紙を送っています。
そして恋人が返事をしていないと、再三返事を催促しています。
それだけでなくカフカは、この女性に対して手紙のなかで、
- 自分の手紙にキスをしてくれ、
- 優しくなでてくれ、
- 日ごろから手紙を持っていてくれ、
など奇妙な要求をたびたびしています。
にもかかわらず、彼は恋人と実際に会うことに対しては、あまり積極的ではありませんでした。
手紙を通じて、つまり文字を通じて恋人とつながることのほうがカフカにとって重要だったのです。
彼にとって自分の書いた手紙は、自分の分身も同然でした。
最終的にこのフェリスとは、二度婚約して二度とも婚約を破棄してしまいました。
2人目の恋人ミレナとは、不倫関係だったため、結果的に手紙のやりとりが中心になりました。(とはいえ、肉体関係はありませんでした)
そもそもミレナと知り合ったのは、彼女がカフカの作品をチェコ語に翻訳する関係で手紙のやり取りをはじめたことがきっかけでした。
つまりカフカは手紙を通じて彼女と出会い、手紙を通じて彼女と懇意になり、手紙を通じて彼女との別れを経験したのです。
驚くべきなのは、この二人ともカフカの手紙を取っておいたことです!
フェリスは、カフカと上手くいかなくなった後、別の男性と結婚し、ナチスを逃れてアメリカに移住しましたが、カフカの手紙は大事に保管していました。
ミレナもまた、カフカからの手紙や原稿を保存し、のちに友人ブロートにそれを託しました。(その後彼女は強制収容所に収容されそこで亡くなりました。)
カフカ自身は、女性に対してある距離感をもってしか接することができなかったようですが、その一方で女性をひきつける魅力が彼のなかにはあったのでしょう!
まとめ フランツ・カフカの性格と経歴は?生い立ちやエピソードが面白い!
今回は、フランツ・カフカの生い立ちや経歴、彼の人柄をあらわすようなエピソードを紹介しました!
まとめると、
- カフカのアイデンティティの背景には当時のユダヤ人の複雑な環境がある。
- カフカは真面目で優秀なサラリーマンだった
- カフカは健康オタクだった
- カフカはラブレター狂といえるほど女性と手紙のやり取りを積極的にしていた
これらからカフカの繊細な性格が分かったと思います!
彼は他人に、そして自分自身の体に慎重で繊細な気配りをしていましたが、女性相手となるとその性格はやや障害になってしまったようですね。
この性格の裏には、彼のユダヤ人としての出自も関係があるのかもしれません!