教育勅語の良い点と悪い点は?成立の歴史が一目でわかるまとめ資料




教育勅語を暗唱する幼稚園生の声にモザイクをかけるべきか?

 

教育勅語は戦前の日本の教育が目指した精神の象徴と言えます。

そして、未だに教育勅語の功罪は、時々論議されています。

 

たとえばアメリカには「忠誠の誓い」というものがあり、

教育勅語と似たような論争を引き起こしているそうです。

 

『imidas』によれば

「アメリカの多くの公立学校では生徒たちが毎朝、星条旗に向かって

 

『私はアメリカ合衆国の国旗に忠誠を誓います。そしてすべての人々に自由と正義が存する、分かつことのできない、神の下での一つの国家である共和国に忠誠を誓います』

 

と朗唱する儀式が行われる」そうです。

 

その朗唱の文句は以下。 

I pledge allegiance to the flag of the United States of America and to the Republic for which it stands, one nation under God, indivisible, with liberty and justice for all.

 

このunder Godが政教分離に違反するとか、

強制的な朗唱は信教の自由に反するとか、

裁判沙汰にもなっているとのことです。

 

日本では卒業式での国歌斉唱の案件が近いかもしれません。教員側ですが。

 

特に、近年改変された新しい学習指導要領では、

徳育や道徳教育の重視がかなり強調され、

大変な議論を巻き起こしていました。

 

単純に考えれば、新要領は教育勅語の精神に近寄ったと考えられます。

 

したがって、日本の教育にとって、

勅語の精神に正当性があるのかどうか考察することは、

重大な問題でしょう。

 

もし勅語の精神が間違っていれば、新要領は危険であると考えられます。

反対にもし勅語の精神に正当性があれば、新要領はある種の進歩ということになります。 

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 「教育ニ関スル勅語」(明治23年10月30日)

「教育ニ関スル勅語」(明治23年10月30日)は短いので全文を引用します。

なお、資料の引用は、文部科学省のWebサイトを典拠にしています。

 

このサイトは重要な資料や近代以降の学制に関する記述がまとめられており、非常に便利なサイトです。

ヘタにインターネットで色々見るより、ここを見れば一発です。

文部科学省:白書

朕惟フニ我力皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我力臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我力國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨り朕力忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我力皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

 

 

1.教育勅語の成立過程

 

 教育勅語は1890年(明治 23)10月30日に発布された。

その成立について、まとめてみます。

 

学制

 明治政府が1868年に成立して4年後、1872年に「学制」が発布される。

これは洋学者によって考案された制度で、その内容は、

 

  1. 文明開化路線に即し、実学を重んじること。
  2. 教育は国家のためではなく、個人のためということの二つであった。

 

そして初等教育における修身教育が、翌年「小学教則」とともに始まる。

学制当初の修身教育の特徴は、新政府の理念は文明開化と富国強兵であった。

 

そのため、徳育の修身よりも、知育の実学が重視された。

したがって、修身の教育全体に対する割合は少なかった。

 

また、修身で何を教えたらいいか、国が定めていなかった。

だからウェーランドの”Elements of Moral Science”の翻訳などで教えられた。

 

整理すると、意外なことがわかる。

すなわち「修身」というと「日本的・儒教的な教え」が連想される。

 

ところが、開始当時の修身は、和洋漢が混在していたことがうかがえる。

 

自由民権運動

 教育勅語の成立に大きなきっかけを与えた事件が自由民権運動である。

 

自由民権運動の教育での影響は、

学制における教育内容の画一化への批判である。

 

民衆の政治的主体としての自立をうたった自由民権運動。

教育面でもそれに即するように、地域に合った教育を、

それぞれの地域が行うことが主張された。

 

これは一定の成果を挙げた。

1979年に制定された「教育令」では、修身の優先度は最も低くなる。

 

また

「土地ノ情況ニ随ヒテ」

「学務委員ハ其町村民ノ選挙タルヘシ」

という記述が見られる。

 

 

しかし自由民権運動で社会はかなり混乱した。

その結果、政府の保守的思想に大きな影響を与えたと思われる。

 

『国史大辞典』を引いてみよう。

自由民権運動は1874年(明治7年)、

「征韓論」に破れて下野した板垣退助・後藤象二郎らによる

「民選議院設立建白書の提出」

によって始まったとされる。

 

明治政府は薩長藩閥出身者による有司専制政府である。

板垣らは「この政治がつづけば国家は遠からず瓦解する」と批判した。

 

「君臣相愛し我帝国を維持振起」するためには

「民撰議院を設立し、納税者に参政権を与えよ」

 

という内容であった。

ところが、建白書は政府によって却下される。

するとすぐさま、板垣らは反政府運動に乗り出した。

 

 おそらくこの反政府運動と関連して、

西南戦争(明治10年)や

各地の地租改正反対の一揆や乱

が引き起こされたものと思われる。

(明治7-9年で10回ほど起こっている)

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天皇の教学聖旨(1879)

 明治天皇は76年から78年にかけて、地方を御巡幸された。

 

その際に見聞した教育の実情についての天皇の意見書は2つ。

 

  1. 元田永孚が起草、総論的な「教学大旨」
  2. 初等教育における展開を書いた「小学條目二件」

 

から成る。再び引用しておこう。

 

教学大旨

 

教学ノ要仁義忠孝ヲ明カニシテ智識才藝ヲ究メ以テ人道ヲ盡スハ我祖訓國典ノ大旨上下一般ノ教トスル所ナリ然ルニ輓近専ラ智識才藝ノミヲ尚トヒ文明開化ノ末ニ馳セ品行ヲ破り風俗ヲ傷フ者少ナカラス然ル所以ノ者ハ維新ノ始首トシテ陋習ヲ破り知識ヲ世界ニ廣ムルノ卓見ヲ以テ一時西洋ノ所長ヲ取り日新ノ效ヲ奏スト難トモ其流弊仁義忠孝ヲ後ニシ徒ニ洋風是競フニ於テハ將來ノ恐ルル所終ニ君臣父子ノ大義ヲ知ラサルニ至ランモ測ル可カラス是我邦教学ノ本意ニ非サル也故ニ自今以往祖宗ノ訓典ニ基ヅキ専ラ仁義忠孝ヲ明カニシ道徳ノ学ハ孔子ヲ主トシテ人々誠實品行ヲ尚トヒ然ル上各科ノ学ハ其才器ニ隨テ益々畏長シ道徳才藝本末全備シテ大中至正ノ赦学天下ニ布満セシメハ我邦獨立ノ精紳ニ於テ宇内ニ恥ルコト無カル可シ

 

小学條目二件

 

一 仁義忠孝ノ心ハ人皆之有り然トモ其幼少ノ始ニ其脳髄ニ感覚セシメテ培養スルニ非レハ他ノ物事已ニ耳ニ入り先入主トナル時ハ後奈何トモ爲ス可カラス故ニ當世小学校ニ給圖ノ設ケアルニ準シ古今ノ忠臣義士孝子節婦ノ畫像・寫眞ヲ掲ケ幼年生人校ノ始ニ先ツ此畫像ヲ示シ其行事ノ概略ヲ説諭シ忠孝ノ大義ヲ第一ニ脳髄ニ感覚セシメンコトヲ要ス然ル後ニ諸物ノ名状ヲ知ラシムレハ後來思孝ノ性ニ養成シ博物ノ挙ニ於テ本末ヲ誤ルコト無カルヘシ

 

一 去秋各縣ノ季校ヲ巡覧シ親シク生徒ノ藝業ヲ験スルニ或ハ農商ノ子弟ニシテ其説ク所多クハ高尚ノ空論ノミ甚キニ至テハ善ク洋語ヲ言フト雖トモ之ヲ邦語ニ譯スルコト能ハス此輩他日業卒り家ニ帰ルトモ再タヒ本業ニ就キ難ク又高尚ノ空論ニテハ官ト爲ルモ無用ナル可シ加之其博聞ニ誇り長上ヲ侮リ縣官ノ妨害トナルモノ少ナカラサルヘシ是皆教学ノ其道ヲ得サルノ弊害ナリ故ニ農商ニハ農商ノ学科ヲ設ケ高尚ニ馳セス實地ニ基ツキ他日学成ル時ハ其本業ニ帰リテ益々其業ヲ盛大ニスルノ教則アランコトヲ欲ス

 

 

 開化主義、啓蒙主義を明らかに批判しているのがよくわかる。

個人的におもしろいのは、

実学自体は明治天皇も賛成しているように思われるところ。

 

知識才芸はよいものであるが、

あくまで仁義忠孝あっての知識才芸であるとの御意見である。

 

特に小学條目の二件目で、

「高尚ノ空論」ばかりで「本業ニ就キ難ク……無用ナル可シ」と、

実学の観点から、実学を打ち出した洋学の方を批判しているのがおもしろい。

明治天皇の見聞に基づく文書である以上、

実際に、このような風潮が地方教育において見られたのは確かであろう。

 

さて、こうした批判や仁義忠孝の心を育てよという天皇直々の意見書に対して、

時の政府、伊藤博文は井上毅に命じて、すぐに「教育議」により返答を行う。

 

返答の内容は、次の3つ。

  1. 内容は開化主義の継続。
  2. 教科書の内容統制(確認できず)。
  3. 学生たちを科学技術の教育へ誘導し、政治運動から遠ざけること

 

この第3の点は、明らかに自由民権運動による、

政治運動の盛り上がりを憂慮したものである。

 

これに対して元田が「教育議附議」によって再反論した。

 

さらに民権運動の激化もあり、

結果的に1880年に「改正教育令」が制定された。

改正前と比較して、地域ごとの教育は排除され、修身が筆頭科目になった。

 

翌年には「小学修身書編纂方大意」の公布があった。

ここで儒教を修身の中心にすえることが明示され、和洋漢混合の修身という色は薄くなったと思われる。

 

徳育論争

 1885年、森有礼が初代文部大臣に就任し、多くの教育政策を実施した。

それをきっかけに、

  • 元田永孚、
  • 福沢諭吉、
  • 加藤弘之、
  • 杉浦重剛、
  • 西村茂樹ら

が徳育について多くの論争をしたようだ。

このあたりで教育勅語につながるような、

教育の精神についての議論が多く交わされた。

 

結論としては、全体的に科学技術教育については異論がなく、

富国強兵や日本の近代化についても目的を同じくしていた。

 

違うのは方法論であったのだが、

自由民権運動での社会混乱を止めなければならなかったので、

最終的には元田の意見に収斂されていった。

 

 

「国体の本義」と万世一系

 

 以上見てきたように、

教育勅語、もっと言えば、近代日本の天皇制の確立は、

自由民権運動への対抗運動であった。

 

伝統的な日本の仁義忠孝の徳目を強調しなければ、

明治政府が倒れてしまったかもしれない。

それほどの運動だったと思われる。

 

こうして考えると、教育勅語の成立過程にはある程度必然性があった。

内容も西洋倫理ではなく伝統的倫理に則ったものであるから、

受け入れられやすかったのではないかと思われる。

 

さて、教育勅語に関しては、いったん飛ばして、

先に勅語後の歩みを概観しておこう。

 

勅語の発布後、

明治36年に修身教科書の国定化、

明治37-38年の日露戦争、

明治43-45年に第二期修身国定教科書が使用。

 

このような流れで修身教育が強化された。

 

大正時代は美濃部達吉ら憲法学者による天皇機関説が、定説となっていた。

 

昭和になると戦争のための道徳教育という色彩になってくる。

昭和10年、天皇機関説に対する国体明徴運動が起こる。

どうして急に国体明徴運動が起こったのか、いきさつがよく分からないが、

この天皇機関説と国体明徴の対決の中で、

「国体の本義」を明らかにせよとの声が上がったようだ。

 

それに答える形でか、

昭和12年「国体の本義」が文部省より刊行される。

 

題名からもいきさつからも、

これは戦前教育に関して、重要な資料である。

 

緒言の抜粋を見ると、

西洋における個人主義が行き詰っている中、

我が国の国体の本義と進む道を明らかにすること。

これが個人主義の打開を試みることが「世界史的使命」である

 

などと言っている。

 

そして国体を「万世一系の天皇」に求めている。

つまり万世一系の天皇の存在が、日本のアイデンティティである

ということだろう。

 

同時にまた、天皇を最高位とする支配の正当性を、

この万世一系に求めていることも明らかである。

 

要するに、ざっくり言うと、

近代日本の思想的な歩みは、

すべてが天皇の万世一系を淵源としていると思われる。

 

個人主義の否定と万世一系天皇の統治が合わされば、

必然的に天皇絶対制のようになってしまう。

 

そして昭和16年、国民学校制が始まり、「臣民の道」が配布された。

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教育勅語の正当性と私の結論

 

教育勅語の正当性も、「天皇の万世一系」の正当性に求められているだろう。

皇祖皇宗である。

 

これを切り離して教育勅語の普遍性などを主張しても、

抜け殻を讃美しているに等しい。

 

なぜなら、皇祖皇宗の教えがあるから、忠孝が美しいのであり、

皇祖皇宗の教えを抜きにしたら、何のための忠孝なのか分からないからである。

 

もしも日本という国のあり方や尊厳が、

「天皇の万世一系」によって担保されているのであると考えれば、

 

教育勅語は未だに「古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」であると思う。

 

反対に、もし日本の尊厳がもう違うところにあるのだとすれば、

教育勅語を今さら持ち出すのはナンセンスであると言わざるを得ない。

 

 

 万一、尊厳がないということになってしまっているとすれば、

これは国家の危機である。

日本という国が存在しなければならない理由がないのだ。

 

極端な話、何の尊厳も正当性もない国で、

経済発展しか目的がないのであれば、

中国の属国になって何が悪いのか、という話になる。

 

道徳教育では、

なにを美しいこととするのか、

およびその根拠・正当性を示すことが重要だ。

 

 

テレビが幼稚園生の暗唱する教育勅語に

「モザイクをかける」ということは、

「日本の尊厳をどこにあるか」を考える1つのきっかけである。