いじめ問題についての概略を得るために、手に入りやすい新書がある。
著書の森田洋司氏は、社会学を専門で博士号を取得しており、研究者としての専門的な訓練と実績を重ねてきている。
教育関係の大学教員というのは、現場上がりの経歴を持つ人間が少なくない。そういうキャリアの人々は実証分析や論文執筆の研鑽の年数が不足しているので、いきおい論理の展開や論述の根拠に問題があることもある。
そういう意味でも、本書はいじめ問題を考えるための基礎となる本であり、いじめについて考えるためのよき案内書になると思う。
そこで 森田洋司(2010)『いじめとは何か』中公新書のポイントを要約してみました。
こちらでも森田さんの議論を参考に、いじめ問題を考えています。
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森田洋司(2010)『いじめとは何か』中公新書
目次は以下の通り。
- 第1章 いじめの発見
- 第2章 日本での三つの波
- 第3章 いじめとは何か
- 第4章 内からの歯止め、外からの歯止め
- 第5章 私事化社会と市民性教育
- 第6章 いじめを止められる社会へ
いじめのとらえかた
被害者個人の救済か、社会の安全と人びとの安寧の確保か。どちらに重きを置くのかで、いじめを見る視点も変わる。
(個人―社会、被害―加害という二つの軸)
日本でのとらえ方
80年代:個人の被害に重きを置いた。
被害の早期発見と相談、子どもの心理的な安定と自立へのサポート、周囲との関係調整
制度的な対応として、いのちの電話、いじめ相談の電話受付および相談窓口の設置、スクール・カウンセラーの導入→不登校への対応にもなる。
90年代:いじめの対応策としてスクールカウンセラーの委託事業が本格化。
日本のいじめは肉体へのダメージよりも、心理主義的な色彩を帯びていた。
2006年以降:いじめ対策が、個人のこころだけでなく、社会・集団への被害の問題へとスライドし始める。
欧米でのいじめのとらえかた
欧米でのいじめは加害性への対応に焦点をあてた。
子供たちの学校づくりへの参画を図り、社会防衛に重きを置いた。
監視や取り締まりを強化しても限界との考えから、シティズンシップ教育を導入。
社会と人びとの安寧を確保するには社会参画が不可欠との考えから、
加害者の行為責任を明らかにして対応する体制を作った。
社会問題としてのいじめ
校内暴力の逓減とともに、いじめへの関心が高まる。子どもたちの自殺と遺書がきっかけ。
被害者の自殺や自己に備える危機管理や相談体制の構築が喫緊の課題とされた。
学校現場では教員たちのカウンセリング・マインドの習得に関心
→処分や懲罰よりも、教育的指導と心理相談が重視される。
(加害性への対応⇔被害者への対応)
第一の波80年代半ば
いじめは日本固有の問題と誤認。日本的な特徴を強調する原因論が展開。
→いじめが明確な逸脱、悪と認識された。いじめという言葉に道徳的意味づけ
第一の波は、人倫・人命にかかわる問題としていじめを発掘。
人々の反応のパターンと社会的な対応を制度化した。
第二の波94年
男子生徒が自ら命を絶ったことがきっかけ。恐喝が含まれていたのが特徴。
文部省が「いじめ緊急対策会議」を設置。第1回会議で「緊急アピール」(1994,12/9)。
いじめはどの学校でも起こりうる現象との認識を示し、いじめの遍在性を周知させる。
いじめは許されない行為として強い認識を持つよう提言。行為責任の感覚を意識させる必要性を強調。
「こころの相談」体制の確立期。不登校の増加の影響も大きい。
95年からスクールカウンセラー配置をスタート。
心理面での教育相談に比重をおく指導態勢
→教育現場ではなく社会的にもカウンセリングへの志向が高まった時期。
いじめの問題については、まず誰よりもいじめる側が悪いのだという認識に立ち、毅然とした態度で臨むことが必要である。
いじめは卑劣な行為であり、人間として絶対に許されないという自覚を促す指導を行い、その責任の所在を明確にすることが重要である。
社会で許されない行為は子どもでも許されないものであり、児童生徒に、何をしても責任を問われないという感覚を持たせることは教育上も望ましくないと考えられる。(いじめの問題の解決のために当面取るべき方策等について)
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/t19950313001/t19950313001.html)
第三の波05-06年
児童生徒の自殺事件が相次ぐ。
発生状況や対応時の問題が、20年前と変わっていないことが明らかになる(いじめはなかったと発表)。
中央教育審議会による審議に加え、内閣主導の教育再生会議が設置、教育基本法の改正が図られた。
教育再生会議の提言。加害者への出席停止措置の活用や、懲戒の行使。(処罰的色彩の強化)。
これまでは加害責任の視点が弱かったと反省。
「傍観者も加害者である」と強調。
→これらの取り組みが、改めて抜本的ないじめ対策の必要性を認識させる波となる。
他方で、児童会・生徒会でいじめ問題に取り組む(ピア・カウンセリングに近い)。
心理ケアだけでない対策として、スクール・ソーシャルワーカーの導入や関係機関との連携を図る。
→威嚇や処罰によって押さえ込むのではなく、社会の中で自立し、参画していく主体へと育つよう支援する方向性。
個人の心構えへの対応から、社会的な地平での取り組み。
政府・トップレベルの対策として加害性への処罰を重視し、現場・ボトムレベルの対策として被害者への支援を行っていく体制。
ここでシティズンシップ教育の必要性が強調されています。
これは森田氏の提言と思われます。
いじめとは何か? 判断基準と定義
三つの要素→力関係のアンバランスとその乱用。被害性の存在。継続性ないしは反復性。
いじめの判断基準
文部省旧基準
「自分より弱いものに対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じていること」
この基準に示された要素が一つでも欠ければいじめと見なされないと判断されることがあった。
そこで新基準
「一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」
(旧基準から性質的記述を引き去る)
力関係のアンバランスは当然に、不可避的に存在する。良い方向にも悪い方向にも働く。
いじめは不可避な現象ではなく、いじめは関係性の病理であり、状況依存的。
→加害者と被害者の関係は固定的ではなく、立場の入れ替わりもありうる。
いじめは、相手を弱い立場に置いて被害を与える。
いじめの定義とは?
被害者の被害感に事実認定の基盤を置く。
内面の傷を回復させることが課題。
被害者は自己嫌悪、自尊心喪失、自己否定、再被害への防衛に陥る傾向。
「いじめとは、同一集団内の相互作用過程において優位に立つ一方が、意識的に、あるいは集合的に他方に対して精神的・身体的苦痛を与えることである」
要約以上。
まとめ
森田洋司(2010)『いじめとは何か』中公新書の要約をしました。
この本で重要なところは、
「いじめの定義がどう変わってきたか?」
これを抑えることだと思います。
非常に特徴的なのは、
- 肉体的苦痛から精神的苦痛へ
- 客観的苦痛から主観的苦痛へ
このような変化ですね。
ほかにも教育学関係の記事を書いています。
よかったらご覧下さい。
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