直線的な読書=RPG
↓この記事を書いてから、思ったこと
筋を読まずに小説を読めるか?『草枕』におけるプロット無視の読書法
直線的な読書という、通常の小説の読み方は、
ファミコンの登場により、いっそう強固なものになった。
ファミコンに代表される初期のゲームは、
まさに1面からラストのステージまでをプレイする、
直線的なゲームである。
アクションゲームや、RPGは、
すべてが直線的な構造を持っている。
マリオならば1-1から8-4まで、
ドラクエならばラダトームから竜王の城まで。
これは、まさに「筋を読むという直線的な読書」と同じ構造だ。
一方、そうした直線的なプレイスタイルを打ち破ろうとする試み。
これもなされてきたようにに思える。
たとえば『ロマンシングサガ』というゲーム。
通常のRPGとは異なり、
プレイヤーは
「どのイベントから始めてもいい」ように作られている。
ドラクエ5ならば、
幼年時代をクリアしなければ、オラクルベリーには行けなかった。
しかしロマサガ3であれば
最初にヤーマスに行こうが、
いきなりナジュ砂漠に行こうが構わない。
ロマサガには、「クリアするだけなら無視しても構わないイベント」
これがたくさんある。
ドラクエには、3のノアニールやオルテガの兜を除けば、
無視しても構わないイベントはほとんど存在しない。
それでもロマサガにはRPGである以上、
「クリアーという制限」があった。
それに対して、近年では「グランドセプトオート」のような、
目的もほとんどない、
何をしても自由というゲームが登場し、人気を博している。
これは、ゲームにおける「直線的プレイ」からの脱却であると言える。
あるいは、ストリートファイターのような対戦格闘ゲームは、
ほとんどスポーツと同様であると言える。
決められたルールの中で、
どんな戦い方をしようとプレイヤーの自由である。
波動昇竜拳といった「待ち」スタイルでも、
飛び込みから大ダメージを狙う積極的に「攻め」スタイルでも構わない。
プレイヤーの自由なアイデアから、
開発者側が予期していないようなテクニックがたくさん生まれる。
(つじ式etc.)
たとえば推理小説というものは、
プロットや伏線を丹念に読むことで、
作品に仕掛けられたトリックを理解しようとする、知的な快楽である。
それは、「スポーツとしての読書」または「ゲームとしての読書」と表現することができる。