ジャンジャックルソーのお話です
まずは私のツイート
哲学者ジャンジャックルソーのここがスゴイ!
・ユーモアたっぷりの「社会契約論」は現代社会の基本的前提になった
・カントが散歩を忘れるほど面白い本(エミール)を書いた唯一の男
・天才なのに援助を断り貧乏暮らしここがダメ
・被害妄想がヤバイ
・貧乏なのに子どもを5人産んで全員孤児院送り pic.twitter.com/RronfpUIzD— Master Neeton@哲学の高等遊民 (@MNeeton) 2018年6月15日
という、すごいけど、ダメなところもある男です
ルソーの社会契約論は面白いですね。レトリックが素晴らしいです。
ということを「世界の古典つまみ食い」というサイト様から教わりました。#マシュマロを投げ合おう https://t.co/W2ILxZsYBH pic.twitter.com/diGPaFxg1X— Master Neeton@哲学の高等遊民 (@MNeeton) 2018年5月21日
読もうと思っててやっと読んだ。この和訳は、本当に空前絶後のわかりやすさだった。7章がふつうに内容がムズくてよくわからないから(特に2節)近日中にもう一回読む。
「世界の古典つまみ食い」より
ルソー『社会契約論』第一巻https://t.co/gJ48v5KSv0— Master Neeton@哲学の高等遊民 (@MNeeton) 2016年11月29日
社会契約論はこちらがおすすめですよ
高校までは読書に特別な意識を持っていなかった。読書を読書として意識していないというか。趣味でもないし、読書好きとか読書嫌いとかもない。読書を誇りもけなしもしない。無だった。むしろ無の境地だった。「読書する我」に目覚めていない。読書の自然状態。読書のルソー状態。
— Master Neeton@哲学の高等遊民 (@MNeeton) 2016年11月18日
1712年6月28日 – 1778年7月2日
下記クリックで好きな項目に移動
【時計屋生まれで逃亡生活】スイス、ジュネーブの生まれ
ジュネーヴはルソーの故郷であり続け、自分をジュネーヴ市民として見ていた。
ルソー家が代々営んでいた「時計師」
↑時計屋さんだったんだね
ジャン=ジャックは不幸にも生後9日にして母を喪っている
あら~
ジャン=ジャックは父方の叔母シュザンヌ・ルソーの養育を受け、父親を手本に文字の読み書きなどを教わりながら育った。7歳の頃から父とともにかなり高度な読書をおこない、小説やプルタルコスの『英雄伝』などの歴史の書物を読む。
お母さん亡くなって、叔母さんに英才教育ほどこされたんだね
1722年、ルソーが10歳のころ、彼の人生は一変する。
父が告訴され、ジュネーヴから逃亡
ジュネーヴ郊外のボセーで不自由な寄宿生活を送る
この時期、ルソーのマゾヒズムという性癖が形成された
何かフロイトっぽい考え方だな。こういう決めつけ好きじゃない
ルソーが「孤独な散歩者の夢想」や書簡とかで自分で言ってるならいいけど
【事故で死にかけて勉強始める】放浪生活が中心のルソー
ルソーは音楽が好きであったため(教えるほどの力はなかったが)音楽家を自称して音楽教師になろうとした。能力不足とはいえ、音楽を勉強する機会になったという
()が可愛そう
薬品の製作の補助で事故がおこり、ルソーは一時生死をさまよう。
残り僅かの人生だと覚悟し、これを有意義に使おううと考えるようになったのだ。ルソーは元々の読書力を駆使して哲学、幾何学、ラテン語を学習し、独学で膨大な書物を読破して研鑽し、教養を身につけた。
ギリシア哲学やモラリストの著作、啓蒙主義などの自学自習に没頭して教養をつくった
【絶倫→孤児院】テレーズとの間に5人の子供
ルソーはサン=カンタンのホテルで23歳の女中テレーズ・ルヴァスールに出会い、恋に落ちる。
二人は「決して捨てないし結婚もしない」という条件で生涯添い遂げるが、晩年になるまで正式な結婚はしなかった。
フランスってこういうパターン昔からあるんですね。
二人の間には1747年から1753年までに五人の子供ができるが、経済力のないルソーは当時では珍しいことではないのだが、わが子を孤児院に入れている
はい有名なやつきた
当時のパリでは年間3千人の捨て子が発生しており、この問題はすでに社会現象化していた。
あ、そうなんだ!! ルソーだけがやべえ奴じゃないんですね
【学問芸術論】ルソーが文壇に華々しくデビュー
1750年、ルソーは『メルキュール・ド・フランス』という雑誌の広告を目にし、ディジョン科学アカデミーが「学問及び芸術の進歩は道徳を向上させたか、あるいは腐敗させたか」という課題の懸賞論文を募集していることを知る。
「人間は本来善良であるが、堕落を正当化する社会制度によって邪悪となっている」という直感
文化を健全化させるには人間自身に内在している「自然の導きに従えば良い」と見解を示し、人間の良識に学問や哲学、芸術を基礎付けるべきだと主張
ふーーーん
彼が執筆した著作『学問芸術論(フランス語版)』(Discours sur les sciences et les arts, 1750)は見事入選を果たす。
これが契機となり不遇な状態は一変、以後次々と意欲的な著作・音楽作品を創作する。ルソーは自分が有名になって以降、パトロンとして保護したいというフランクィユ氏など周囲からの申し出を断り、独力で音楽活動にも邁進しながら楽譜の写本などの手段で生計を立てる道を模索する
もったいないなあ。お金もらえばいいのに
【人間不平等起源論】懸賞論文の賞金稼ぎ化した天才ルソー
1753年、ディジョンのアカデミーが再び「人々の間における不平等の起源は何であるか、そしてそれは自然法によって容認されるか」という主題のもと懸賞論文を募った
『人間不平等起源論』は41歳にして書き上げたルソー初の大作であり、懸賞論文への解答であった
本来の人間存在である自然人は与えられた自然の環境的条件のもとで自足的に生きており、自己愛と同情心以外の感情は持たない無垢な精神の持ち主であったとしたうえで、平等で争いのない自然状態
こうした理想の状態は人間自身の進歩によって失われていった
生産物からやがて不平等の原因となる富が作り出され、富をめぐって人々がしだいに競い合いながら不正と争いを引き起こしていった
「私有財産制度がホッブス的闘争状態を招いた」と指摘した
なんか正しいっぽいことを言ってる気がするね
争いで人間が滅亡しないように「欺瞞の社会契約」がなされる。
欺瞞! いいね
私有財産制が法になり、国家によって財産が守られるようになる。かくして不平等が制度化され、現在の社会状態へと移行した
富の格差とこれを肯定する法が強者による弱者への搾取と支配を擁護し、専制に基づく政治体制が成立する。
ルソーはこうした仮説に基づいて、文明化によって人民が本源的な自由を失い、社会的不平等に陥った過程を追究、現存社会の不法を批判
ルソー神じゃん。神じゃないですか? 神と思った人は、コメントに「ルソー神。」と投稿してください
ヴォルテールとの関係は好ましいものではなかった。『人間不平等起源論』を贈っているが、「人はあなたの著作を読むと四足で歩きたいと思うでしょう」と嫌味を言われている
ヴォルテール嫌味だな~
ヴォルテールら百科全書派と絶交
ルソーが名を馳せるようになったことが縁で、一時期では『百科全書』に「政治経済論」を執筆・寄稿している。
百科全書にも書いたのね。それが「政治経済論」だったのか
ヴォルテールは『リスボンの災禍にかんする詩』において神の存在性と慈悲に対する批判をおこなった。
ルソーは地震の災厄が深刻化したのは神の非情さではなく、都市の過密によるものであり、これは人災であるという見方を提示した。
ヴォルテールの見解に異論を唱えた こうした論争の中で対立関係は決定的なものとなった。
こいつらこんなことで喧嘩すんのか
『演劇に関するダランベールへの手紙』
ダランベールが『百科全書』の「ジュネーヴ」の項に町に劇場がないことを批判する一文を載せた。
ルソーはジュネーヴでの劇場の建設は市民の徳を堕落させるもので有害であると見解を示した。
彼らとの関係は決定的に破局した。
こいつらちょっと意見が合わないだけど絶交とか。小学生か
ということでルソーでした。
社会契約論ないじゃん!
社会契約論はルソーの華麗な悪口を楽しむ本です
— Master Neeton@哲学の高等遊民 (@MNeeton) 2018年5月21日
とかありますけど、ぜひコメントで良い文章教えてください
ルソーの参考書籍
ウィキペディアが参考にしてたのは人と思想(清水書院)
中里 良二 ルソー (センチュリーブックス 人と思想 14)
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