金子みすずの性格と生い立ちは?経歴や死因、エピソードは面白い!

26歳の若さでこの世を去った童謡詩人金子みすゞ。

彼女の短い人生にはどのような出来事があり、なぜ26歳という若さでこの世を去ることになったのでしょうか。

 

  • 金子みすゞの生い立ちとは?
  • 金子みすゞの経歴と生涯は?
  • 金子みすゞの人柄と性格は?死因は?

 

これらを見ていきながら、金子みすゞの生涯を紹介していきます!

 

金子みすずの性格と生い立ちは?経歴や死因、エピソードは面白い!

 

金子みすゞの生い立ちと本名、家族構成は?

1923年(明治36年)に山口県に生を受けた金子みすゞ。

本名は金子テルと言います。

みすゞの叔母は大きな書店の店主に嫁いでいるのですが、その関係から、みすゞの家も「金子文英堂」という書店を経営していました。

みすゞは小さいころから本が大好きでした。

本に慣れ親しんでいたことが、後の童謡詩人の道へとつながっているんでしょうね。

 

金子みすゞの家族。お父さん

書店の店主である叔父は、満州にも何店か書店を持っており、その一つをみすゞの父に任せていました。

しかし、その父はみすゞが3歳の時に満州で病死。(中国人に殺されたという他殺説もありますが、急性脳溢血説が有力だそうです。)

父のことは記憶にないであろうみすゞですが、父への想いも作品として残しています。

 

金子みすゞの兄弟。兄と弟

兄弟は兄が一人、弟が一人います。弟は、幼い時に書店の叔母の家に養子に出されています。

みすゞは小さい時に家族がバラバラになる経験をしているんですね。

 

金子みすゞの家族構成は複雑

しかし、弟のが養子に行った先で、養母が亡くなってしまい、その後、弟の養父とみすゞの母が再婚します。

みすゞ18歳の時です。その結果、みすゞと弟は、実の姉弟でありながら、戸籍上は義理の姉弟というなんとも複雑な環境に立たされます。

弟にはみすゞと姉弟ということを明かしていなかったので、二人はいとこであるということになっていました。

これまた複雑ですね・・・

 

当時は嫁が亡くなってしまったら、その姉妹を新たな嫁として迎えることは珍しいことではなかったようです。

ちなみに、私の祖母の姉妹も、姉が先に嫁いで急死、その後、妹が同じところに嫁いでいます。

昭和中期でもそのようなことがあったので、明治大正期だとなおさらだったかもしれませんね。

 

母の再婚当初は、みすゞは一緒に嫁ぎ先に行くことなく、元居た場所で女学校を卒業します。

しかし、兄が結婚するのに伴って、母のいる場所へと転居することになりました。

 

ここで、ある条件を付けられたエピソードが残っています。

  1. 実の母のことは「奥様」
  2. 実の弟のことは「坊ちゃん」
  3. 義父のことは「大将」

と呼ばなければならなかったそうです。

う~ん。なんでなんでしょうか。実の母、弟なのに、距離感がすごい・・・ともあれ、関係は複雑ですが、みすゞとしては、実母・実弟と暮らせるわけなので、嬉しかったのです。

 

金子みすゞの経歴と生涯は?

このようにして生まれ故郷から、新天地へと移ったみすゞですが、一つの書店を任せてもらえるようになりました。

本が大好きなみすゞとしてはとても光栄なことでした。

 

本屋を経営していた金子みすゞ

書店を経営しながら、次々と新たな詩の言葉がわいてきました。

いつも帳面を片手に、思いついた言葉を書き綴っていました。

 

20歳のときに詩が雑誌に掲載

「金子みすゞ」というペンネームで雑誌に詩を投稿し始めました。

そして20歳の時、ついに4つの雑誌に童謡と詩が5作同時に掲載され、「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛されました。

 

10年間で500以上の詩や童話を作る多作な金子みすゞ

その後も創作や投稿を続け、創作活動を始めて10年ほどの間に、500篇余りの詩や童話を書いています。

そのうち、100篇近くが雑誌に載ることとなりました。

 

金子みすゞの代表作品

金子みすゞの代表作を紹介します。(発表された順番には並んでいません。)

  1. わたしと小鳥と鈴と
  2. お魚
  3. 大漁
  4. 「口真似」~父さんのない子の唄~
  5. なかなおり
  6. あさがお
  7. どんぐり
  8. いぬ
  9. いしころ
  10. 次からつぎへ
  11. こだまでしょうか
  12. 明るい方へ
  13. おとむらい
  14. 失くなったもの

 

タイトルだけを見ても素朴な詩が多いですよね。

日常の一場面を切り取り、簡単な短い言葉で優しく語りかけてくれる詩がたくさんあります。

 

しかし、これらの詩は雑誌に掲載されたものもありますが、多くが眠ってしまっていました。

それを世に出したのが、弟から3冊の童話集を託された矢崎節夫でした。

 

金子みすゞは死後長い間注目されることはなかったんですね。

 

童話詩人として再注目されたのは、死後50年も経過してからでした。

長い間、この才能が眠っていたとは本当にもったいなかった。そして、日の目を見ることになって良かったです!

 

現在では、みすゞの詩が教科書に載ったり、曲を付けられて歌われたり、CMに起用されたりしています。

東北の大震災の時には、「こだまでしょうか」を取り上げたACジャパンのCMが何度も流れていたことを覚えています。

NHK子供向け番組の『にほんごであそぼ』でも、みすゞの詩のフレーズを題材にしたものが放送されています。

時を超えて、こんなに愛される詩を作ったみすゞが、どうして26歳という若さでこの世を去ってしまったのかは次の見出しで書いていきますね。

 

金子みすゞの人柄と性格は?死因やエピソード。

500篇もの多くの詩を残した金子みすゞは、自分の目にしたもの、耳にしたものを繊細な優しい言葉で表現する才能がありました。

何でもない日々の出来事も、みすずの手にかかると素敵な詩として息を吹き込まれるのです。

難しい技巧などは使っていないので、一読するとすっと私たちの心に言葉が入ってきます。

 

もちろん、みすゞの心を揺さぶってどうしようもなかったことも詩にしています。

  • 記憶に残っていない父とのこと、
  • 大親友との死別、
  • 生まれ故郷からの転居

など、その時々の感情を詩に表現しているのです。

 

これらの繊細な優しい言葉は、金子みすゞの人柄そのものでした。

優しい祖母、母に大切に育てられたみすゞは、自身もまた、繊細で優しい女性へと成長していたのです。

 

そんなみすゞを苦しめることになったのが、結婚生活でした。

相手は女癖の悪い男でしたが、義父は「若い頃は多少女遊びはするもの」とあまり気にすることなく、みすゞとの結婚話を進めました。

 

みすゞは自分がこの縁談を受け入れればすべてが丸く収まると結婚を決意。2

3歳の時に、義父の経営する書店の店員と結婚します。

 

【みすゞの苦難エピソード1:夫と弟との不仲】

まず、みすゞに待っていたのは夫と弟との不仲でした。

義父の家で新婚生活を送っていたみすゞ塞いでしたが、一緒に生活していた弟が家出してしまいます。

これに対し、義父はみすゞの夫に激怒。

息子が出ていくくらいなら、お前が出ていけと言い放ちます。

そりゃ~まぁ~そうなりますよね。

そこで板挟みとなったのがみすゞです。

 

この時にはすでに夫は女性問題を抱えていました。

義父と母はみすゞの離縁を考えますが、なんとみすゞは妊娠していたのです。

 

離縁の話は白紙に戻り、みすゞ夫妻が家を出ていくことで一応話は収まりました。

 

【みすゞの苦難エピソード2:女遊びに歯止めが利かない夫から、詩の投稿や詩人との交流を禁じられる】

家族内ではゴタゴタが続いていたみすゞでしたが、詩作の方が順調でした。

出産後も細々とではありますが、創作活動をしています。

みすゞの恩師である西條八十とも文通をし、交流を深めていました。

 

このように自分の世界に没頭するみすゞの傍らで、夫もまた女遊びへと走っていきます。

そんな折、女遊びの結果、夫がもらってきた淋病に、みすゞの身体も侵されてしまいました。

身体の不調はみすゞの精神もむしばんでいきます。

浮気は仕方がないことと割り切っていながらも、自分を苦しめる病気を思うと、辛い日々でした。

 

こんなみすゞの苦悩を知ってか知らずか、夫は自分のことは棚に上げて、みすゞに詩の投稿、詩人仲間との文通や交流を禁止しました。

本当に自分勝手!!

女の立場が弱い時代とは分かっていますが、みすゞのライフワークを取り上げるだなんて許せませんよね。

 

この時に作られた詩が『私と小鳥と鈴と』です。

教科書にも採用されることが多いみすゞの代表作です。

「みんなちがってみんないい」とっても大好きなフレーズです。

しかし、この詩の背景にみすゞのこんな体験があったとは・・・知りませんでした。

みんなちがってみんないいんだから、私も好きに生きることを許してよというみすゞの悲痛の叫びだったのでしょうか。

私はもっとポジティブな詩だと受け取っていました。

もちろん、みすゞはそれぞれがちがって尊い存在だという思いで作っているのでしょうが、背景を知ってしまうと、なんだか悲しくも聞こえてきます。

 

【みすゞの苦難エピソード3:娘の親権】

夫の浮気、淋病、創作活動や仲間との交流の禁止・・・この時のみすゞを癒していたのは、娘の存在でした。

自分の悪化する病状とは正反対に娘がすくすくと成長している姿を見るだけで、生きる勇気がわいてきたでしょうね。

 

さすがに夫との結婚生活に嫌気がさしたみすゞは、ついに夫との離婚を決意します。

最初は娘の親権をみすゞに譲ると言っていた夫でしたが、一転し、娘の親権を要求してきました。

 

そこで、みすゞは、娘を自分の母に託すことを書いた遺書を残し、夫への抗議の意味を込めて服毒自ら命を絶つことをしてしまうのです。

淋病による自分の状態などを鑑みて、自分の命を投げうってでも娘を夫に渡したくなかったんですね。

母なら、自分にしてくれたように優しく、愛情深く娘を育ててくれることを確信していたのでしょう。

 

みすゞの最期を思うと、結婚相手さえ違えば・・・と思わざるを得ません。

もっともっといい詩をたくさん書くことができていたでしょうに。

自分がしてもらったように、多くの愛情を娘に注ぎたかったでしょうに。

 

【結論】金子みすゞの性格と生い立ちは?経歴や死因、エピソードが面白い

多くの素晴らしい詩を残しながらも、最期は自ら命を絶つことを選んでしまった金子みすゞ。

金子みすゞについて簡単にまとめると以下の通りです。

  • 金子みすゞは母や祖母から愛情深く育てられ、優しい女性に育った
  • 金子みすゞは本が大好きで、26年間の生涯で500篇以上もの詩を残した
  • 金子みすゞは結婚相手に苦労させられた
  • 金子みすゞは娘のために自ら命を絶つことを選んだ
  • 金子みすゞの詩は死後50年もの間、影を潜めていたが再び日の目を見ることができた

 

金子みすゞが多くの詩を残していたことは知っていましたが、まさか500以上もあるとは知りませんでした。

  • 素朴なのにグッと胸を熱くさせられる、
  • そうそう、わかるわかると共感してしまう、

 

そんな詩を書いた女性が、最期は夫から性病を移されて、自ら命を絶つことをしてしまっていたなんて・・・

 

金子みすゞの詩はもちろんですが、金子みすゞの伝記小説を書かれている方がいます。

『みすゞと雅輔』(松本侑子著、新潮社、2017)

これ、ぜひ読んでみてください。

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4 件のコメント

  • 金子みすゞの世界で[数]を語る
    「美しすぎる「数」の世界 「金子みすゞの詩」で語る数論」清水健一著
        があるが,事象(生かされている感覚)で【数そのモノ】を見てみよう。

    佐治晴夫先生は、金子みすゞの「大漁」の詩の〔陸の光景〕と〔海(鰮)の光景〕のこの二つの事象(光景)を個別的現象形態の認識に【ポエジイ】(解説)している。
    【数そのモノ】の『生かされている感覚』で数式を立ててみると
    〔陸の光景〕は、鰮がいっぱい採れたこと      ➡  一次元の事象の数式
    〔海のなかの(鰮)の光景〕は、鰮がいなくなること ➡  二次元の事象の数式
    一次元の事象の数式と二次元の事象の数式を調和させること
                             ➡  三次元の事象の数式
                              となる。
    『生かされている感覚』で【数そのモノ】を一次元の事象の【数】と二次元の事象の【数】とを調和させる三次元の事象の【数】は、『離散的有理数の組み合わせの多変数創発関数論 命題Ⅱ』に隠されていたが金子みすゞの「蓮と鶏」の詩で解けたのだ。
     一・二・三次元を調和させる作用素は、万人が使っている演算子[+ - × ÷]を生み出している気付きであったのだ。

     そして西洋数学の成果の【有限】を【無限】に導いた数学用語たちを思い出させたのは、金子みすゞの「星とたんぽぽ」なのだ。
    数学共同体の呈示する自然数【0 1 2 3 ・・・】は、一・二・三・四次元を繋ぐ縮約(縮退)自然数としてカオスを抱え込むということを教えてくれている。
     
    コスモス(秩序)とカオス(混沌)との【量化】を教えている。
    金子みすゞは、詩に【ポエジイ】して素朴に隠しつつすべての事象を【量化】する天才だ。

  • 「大漁」 「蓮と鶏」 などから数の言葉(自然数)の成り立ちを掴む絵本は、
    「もろはのつるぎ」(有田川町ウエブライブラリー)・・・
     

  • ≪…日の目を見る…≫で、数の言葉ヒフミヨ(1234)をチョット数学共同体からパラダイムシフトして眺めて観るのは3冊の絵本で・・・
     絵本「哲学してみる」
     絵本「わのくにのひふみよ」
     絵本「もろはのつるぎ」
      

  • 〇□のオブジェ巡りで、演算符号(+-×÷√=)を想う・・・

     3か所の聖地 
      「銭形砂絵」 「龍安寺の蹲踞」 有明山神社の開運招福の石」

     この物語の風景は、金子みすゞ「わまわし」に・・・
      

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