昭和の詩人、中原中也の処女詩集・第2詩集を紹介します。
中原中也はNHKテレビ「100分de名著」で、2017年1月に取り上げられていました。
生没年は1907~1937。夭逝した詩人であり、ほとんどの作品を青空文庫でも読むことができます。
そんな中で、とびきりの素晴らしい作品を、いくつかご紹介いたします。
どれも本当に素晴らしいですよ。あなたの気に入った作品が1つでも見つかれば幸いです♪
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『山羊の歌』意味と解説―初版はたった200部!
『山羊の歌』(やぎのうた)初版は1934年。実に中也の死の3年前です。
高村光太郎による装丁、およそ150ページ、自費出版のため、わずか200部限定で出版されました。
「1924年から30年ころの作品を収めた」と記載されており、44作が収録されています。
春の日の夕暮
ダダイズムの影響の濃い少年期の作品「春の日の夕暮」に始まります。
トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです吁! 案山子はないか――あるまい
馬嘶くか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮かポトホトと野の中に伽藍は紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲る嘲る 空と山とが瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
自らの 静脈管の中へです(引用はすべて青空文庫より)
朝の歌
さらに、古典的なソネット形式と格調高い文語体をベースとしながら、中也独特の倦怠感を混ぜ合わせた作品「朝の歌」
天井に 朱きいろいで
戸の隙を 洩れ入る光、
鄙びたる 軍楽の憶ひ
手にてなす なにごともなし。小鳥らの うたはきこえず
空は今日 はなだ色らし、
倦んじてし 人のこころを
諫めする なにものもなし。樹脂の香に 朝は悩まし
うしなひし さまざまのゆめ、
森竝は 風に鳴るかなひろごりて たひらかの空、
土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。
寒い夜の自我
青春の迷いと孤独をうたった「寒い夜の自我」
きらびやかでもないけれど
この一本の手綱をはなさず
この陰暗の地域を過ぎる!
その志明らかなれば
冬の夜を我は嘆かず
人々の憔懆のみの愁しみや
憧れに引廻される女等の鼻唄を
わが瑣細なる罰と感じ
そが、わが皮膚を刺すにまかす。蹌踉めくままに静もりを保ち、
聊かは儀文めいた心地をもつて
われはわが怠惰を諫める
寒月の下を往きながら。陽気で、坦々として、而も己を売らないことをと、
わが魂の願ふことであつた!
汚れっちまった悲しみに……
中也の最も有名な詩、口語の七五調「汚れっちまった悲しみに……」
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
「汚れっちまった悲しみに……」の言葉の意味や解説は別記事でも書きました。
『在りし日の歌』内容解説
中原中也の第2詩集『在りし日の歌』初版は1938年。中原中也の生没年は1907年~1937年ですから、死後出版となります。
編集は中也自身の手でなされましたが、その原稿を託した友人は小林秀雄。文芸評論家のあの小林秀雄です。
収録された作品は、主に第1詩集『山羊の歌』以後の作品(一部創作時期は重なる)で、総数58作。
末尾の16作品については「永訣の秋」と題して、詩集の中でも特に区別されています。
中也は先ほど述べたとおり、ダダイズムから出発し、後年ランボーやヴェルレーヌら、フランスの象徴派詩人の作品に慣れ親しみました。(小林秀雄も同様です。)
有名な「汚れっちまった哀しみに」に代表されるように、中也は童謡・歌謡風の、リズムよい形式によって知られています。
しかし一方の内容は、社会生活からの脱落感と抵抗感情とが交錯するような、複雑な感情をうたいあげています。
有名作は「一つのメルヘン」「春日狂想」「頑是ない歌」などが挙げられます。
一つのメルヘン
秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。陽といつても、まるで硅石か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……
- 「さらさらと」
- 「いるのでした・のでありました」
この繰り返しが、中也独特のリフレインですばらしいですね。
とても美しい。
春日狂想
こちらは結構、シリアスな詩です。
狂想とあるように、一種の狂気を感じる詩です。
1
愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。けれどもそれでも、業(?)が深くて、
なほもながらふことともなつたら、奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。2
奉仕の気持になりはなつたが、
さて格別の、ことも出来ない。そこで以前より、本なら熟読。
そこで以前より、人には丁寧。テムポ正しき散歩をなして
麦稈真田を敬虔に編み――まるでこれでは、玩具の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇へば、につこり致し、飴売爺々と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、まぶしくなつたら、日蔭に這入り、
そこで地面や草木を見直す。苔はまことに、ひんやりいたし、
いはうやうなき、今日の麗日。参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。空に昇つて、光つて、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処かで、お茶でも飲みましよ。勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、――戸外はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、外国に行つたら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。まぶしく、美しく、はた俯いて、
話をさせたら、でもうんざりか?それでも心をポーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。3
ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テムポ正しく、握手をしませう。つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テムポ正しく、握手をしませう。
1・2・3で、同一人物なのに、まるでテンションが違いますね。
「頑是ない歌」
「思えば遠くへ来たものだ」
なんか聞いたことあるフレーズは、中原中也が作った表現なのでした。
思へば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いづこ雲の間に月はゐて
それな汽笛を耳にすると
竦然として身をすくめ
月はその時空にゐたそれから何年経つたことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追ひかなしくなつてゐた
あの頃の俺はいまいづこ今では女房子供持ち
思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど生きてゆくのであらうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこひしゆては
なんだか自信が持てないよさりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質
と思へばなんだか我ながら
いたはしいよなものですよ考へてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやつてはゆくのでせう考へてみれば簡単だ
畢竟意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさへすればよいのだと思ふけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気や今いづこ
- 思えば遠く来たもんだ
- 今いづこ
- 考えてみれば
リフレインされていますね。
とてもおもしろい詩です。
まとめ
中原中也「山羊の歌」「在りし日の歌」より名詩をいくつかご紹介しました。
あなたのお気に召した作品・素敵だなと思えた作品はありましたか?
明治~昭和の詩や小説は、本当に素晴らしい作品がたくさんあります。
おもしろい作品を自分で見つけるには、おもしろい案内書を読むのが一番。
以下の記事では、そんなおもしろい案内書をいくつか紹介しています。
読むだけで、だいぶ日本近代文学の見通しがつくようになりますよ。