マルコムX自伝に学ぶ暴力と知性の思想|キング牧師との深い影響関係とは




マルコムXとは誰か?

マルコムXとは、1960年代。アメリカの黒人差別反対運動(公民権運動)で大きく活躍した人物です。

アメリカで起こった公民権運動は、キング牧師を中心とするバス・ボイコット運動を発端とした人種差別反対運動でした。

この大きなムーヴメントは、宗教的組織が、大きな役割を持っていました。
それはプロテスタントをはじめとするキリスト教の動きだけではありません。
アメリカにも根づいていたイスラム教の存在も大きな、そして重要な役割を果たしました。

もしも、アメリカにおけるイスラム教グループの存在がなければ?

おそらく公民権運動はこれほど大きな影響力を持つことができず、失敗に終わっていた可能性さえあります。

これは当時のアメリカ国民はおそらく皆わかっていることだったと思います。

そして、イスラム教グループの中心的存在が、マルコムXと呼ばれる人物でした。

キング牧師とマルコムXは、しばしば

  • 「暴力」と「非暴力」
  • 「夢」と「悪夢」

などというように、

対立するレッテルを貼られているイメージを持たれています。

そのイスラム教系の宗教団体の代表人物であるマルコムXの生涯について、詳しく追っていきたいと思います。

マルコムXの名言

まずは、マルコムXの名言を見ていきましょう。
名言で、人となりや・思想がなんとなく分かりますよね。

マルコムXは、刑務所で猛勉強して、素晴らしい知性と弁舌を身につけました。
ぜひ、力のある言葉をご鑑賞ください。

我々の目的は、いかなる手段をとろうとも、完全な自由・正義・平等を確立することだ。
自由のために命を捨てる覚悟がないのなら、「自由」という文字をお前の辞書から消すがいい。
If you’re not ready to die for it, take the word ‘freedom’ out of your vocabulary.
人の話を聞くのにコツがあるね。
相手がしゃべっているとき、じっとその声音を聞くんだ。
誠実な人間かどうかは声音でわかる。
真実は、虐げられる側にある
Truth is on the side of the oppressed.
私は自衛のための暴力を、暴力とは呼ばない。知性と呼ぶ。
I don’t even call it violence when it’s in self defense; I call it intelligence.
私はアメリカ人ではない。
私は、アメリカニズムの犠牲者となった2,200万人の黒人の中のひとりなのだ。
民主主義の犠牲者である2,200万人の黒人の中のひとりなのだ。
人種差別こそ我々が直面させられているものだった。
このことは宗教を越えた問題である。
投票(ballot)は弾丸(bullet)に似ている。
あなたはターゲットを見る前には投票しないだろう。
そして、そのターゲットはあなたの届かないところにいて、
投票券をあなたのポケットのなかに入れさせておく。
無責任な新聞は、犯罪者を犠牲者に、犠牲者を犯罪者にすり替える。
もしあなた方が注意深く見ていなければ、新聞はあなた方を操る。
そして抑圧されている人間を憎み、抑圧している人間を愛するように仕向けるだろう。
盲目的な愛国心のせいで、現実を直視できないようになってはいけない。
どんな人物がやろうとも、どんな人物が語ろうとも、間違ったものは間違っている。
この社会は根本的に、人種差別主義者と人種隔離主義者達に操られている
わが教祖は黒人至上主義者と呼ばれている。
我々が白人と同等どころか白人より優れていると説くからだ。
そう、白人より優れているのだ。
言うまでもないことだが、我々は白人より優れているのだ。
肌の色を比較してみよ。貴方達の肌は黄金のように輝いて見える。

ローザパークスとバスボイコット運動

公民権運動といえば、キング牧師や、彼の演説が思い起こされます。

「キング牧師の活躍により、人種差別を容認する法律の一部が撤廃された」というイメージでs。

(関連記事)「白人は自らの暴力で魂をゆがめている」と大胆すぎるケンカを売ったキング牧師

公民権運動自体は、キング牧師を中心とするキリスト教系のグループが活躍しました。

運動以前に黒人たちが行動する意識の基盤を形成する。
その点で、宗教の果たした役割は大きなものでした。

ただしそれは、プロテスタント系のキリスト教グループだけではありません。
アメリカで大きくなっていたNOI(Nation of Islam)を中心とするイスラム教系の宗教団体が果たした役割もまた、非常に大なるものでした。

公民権運動とは、20世紀アメリカで起こった、黒人に対する人種差別の反対運動です。
公民権運動の発端は、バス・ボイコット運動から始まります。

一般黒人女性ローザ・パークスが、バスで白人に席を譲ることを拒否したことから運転手に降車させられた事件。

そうした運動が全米を動かす大きなうねりとなって、公民権運動と呼ばれていくのです。

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マルコムXの生い立ち

引用元:マルコム・X – Wikipedia

マルコムX(1925-65)はアメリカ中部、ネブラスカ州オマハで生まれました。
本名をリトル(Malcolm Little)と言い、5歳の時に父を亡くし、母親も間もなく病気になってしまいます。

父の死について、警察は「自ら命を絶った」と判断しました。
しかし、マルコムは白人に殺されたと信じていました。

マルコムの幼少期は、白人ばかりの学校へ行ったりと、白人嫌いというわけではありませんでした。
成績も優秀で、弁護士を目指していたほどです。
しかし、黒人であるがゆえに将来の道を閉ざされ、以来白人を避けるようになってしまいます。

「きみは弁護士はなれない。清掃業があるよ」

こんなふうに教師に言われたのです。

失望したマルコムは、やがてマルコムは裏社会の一員となり、強盗を計画。
1946年2月、マルコムは21歳で刑務所に入ることになります。

しかし、この刑務所での生活が、彼の人生を一変させることになるのです。

 

刑務所での出会いと猛勉強・イスラム教との接触

マルコムは刑務所へ入るとビンビイという男と知り合いになります。

ビンビイは学識のある黒人で、マルコムに通信教育と図書館を利用するように勧めました。
そこでマルコムは、英語の通信教育を受けることにしました。
およそ1年でしっかりした文章が書けるようになり、ラテン語の通信教育も始めました。

入獄からおよそ2年経った1948年。
マルコムの兄フィルバートから
「黒人本来の宗教を発見した!」
という手紙が届きます。

兄が所属していたのは「ネイション・オブ・イスラム教団(通称NOI)」という宗教。

(関連記事)マルコムXとNation of Islam(ネイション・オブ・イスラム)

他の兄弟たちは既に入信していました。
この手紙にマルコムも関心を示し、それからマルコムはイスラム教についての学習を開始しました。

その年の暮れ、マルコムは別の刑務所にうつされます。
マルコムの異母姉のエラ。
彼女の働きかけによって、マサチューセッツ州ノーフォークの実験的な犯罪者更生刑務所に移されることとなります。

ここは大学教授がやって来るほどの犯罪者への教育に力を入れた刑務所
生活環境も他の刑務所とは比較にならないほど良いものでした。

そしてNOI信者である兄弟たちに教化され、NOIの指導者イライジャ・ムハマドに手紙を送るようになります。

イライジャ・ムハマドから返事をもらい激励を受けたマルコムは、さらなる猛勉強を開始します。

その猛勉強とは?

「辞書を書き写し、それを音読する作業をAからZまでやり通した」というものです。

また、「歴史や哲学、また黒人差別についての数々の文献を読んだ。」
そして「大量の知識。それに伴う知性と教養を身につけた。」

と、自伝で振り返っています。

マルコムXと読書の名言

一冊の本に人生を丸ごと変えてしまう力があることを、みんな理解していない。
People don’t realize how a man’s whole life can be changed by one book.
きみはあいつらを信用するが、俺はしないぞ。
きみは学校で白人の望みどおりの勉強をしてきた。
俺は街頭と刑務所で勉強した。
そこでほんとうのことがわかるんだ。
私の母校は書物、良き図書館だ。
残りの生涯をすべて読書に費やしてもいいと思える。
My alma mater was books, a good library.
I could spend the rest of my life reading.

マルコムXの誕生~仮釈放からイスラム教への入信

その猛勉強の態度がよかったせいか、1952年マルコムは仮釈放の身分になります。
そして外の世界で早速イライジャ・ムハマドと会い、NOIに入信することになります。

その際、彼は「X」という名前をもらいました。

教団員の用いる「X」は永久に分からないアフリカの祖先の姓の象徴を意味するものでした。

こうしてマルコム・リトルはマルコムXとなりました。

前科者であることは恥ではない。犯罪者であり続けることが恥だ。

マルコムXはそれから、ある事件をきっかけに、急速にアメリカにおける「時代の寵児」となります。

その事件については、こちら↓↓

(関連記事)出所後のマルコムXはいかに有名人になったか?

公民権運動とイスラム教・NOIを去るマルコムX

↑の事件によって、黒人差別の実態が、全米に知れ渡ることになりました。
これはイスラム教・マルコムXの功績といってよいです。

マルコムXは非常に優れた政治的感覚を持っている人物で、
すぐさま世論を味方につけました。

イスラム教の活躍のおかげで、キング牧師たちのバスボイコット運動も、認知が拡大しました。

さて、1960年代に入ると、公民権運動はキングを中心にますます盛んになってきます。
NOIは教祖であるイライジャ・ムハマドが、運動への参加を禁止していました。

なぜかというと、NOIは白人社会との融和より、「対等な分離」を目指したんです。

  1. これまでは、不平等・被差別のもとでの分離
  2. イライジャが目指したものは「平等で差別なき分離」

という図式です。

むしろ「アメリカを出て行って、アフリカへ帰る」という思想さえありました。

一方、キング牧師をはじめとするキリスト教系は、白人と黒人との融和を目指します。
そして、公民権運動の主役はキリスト教系のグループです。

この方向性の違いから、イライジャは、運動への参加を禁止したのです。

とはいえ、行動派で政治感覚に優れたマルコム。
NOI・イライジャの非政治的な態度に、不満を募らせていました。

公民権というのは、アンクル・サム(=白人)に正しく扱ってくれとお願いすることだ。
人権というものはあなた方が持って生まれたもの、神に与えられたものだ。

このような発言をしていたのです。

そんななか1963年にケネディ事件が起こります。
以前から新たな黒人の宗教的指導者として世の注目を集めていたマルコムX。
マスメディアから事件の取材を受けます。

しかしここで失態を犯してしまうのです。

取材に対して、マルコムはこう答えました。

“John F Kennedy was a case of chickens coming home to roost.”

マルコムの意図としては、「アメリカ社会に満ち満ちた憎しみが、白人にも跳ね返ってきてしまった」というような言葉です。

しかし「人を呪わば穴二つ」などというニュアンスのある表現。
これはマルコムの失言として世間・マスコミに叩かれてしまいました。

NOIはマルコムの政治的な動きを以前から懸念しており、政治的発言を控えるよう釘を刺していました。
にも関わらずマルコムは政治的発言で「炎上」させてしまいました。

これを受け、NOIはマルコムを活動禁止の処分にしました。
ところがマルコムは上等と言わんばかりに、非政治的な態度を堅持するNOIから去ることになりました。

マルコムXとキング牧師との接触

NOIを去ったマルコムは、1964年3月、ワシントンでキング牧師との接触を果たします。
以前から2人はお互いの存在を意識し合っていました。
しかしながら、この時は1分程度しか話す時間がありませんでした。

  • マルコムXは、積極的な非暴力的政治活動を展開するキング牧師を、
  • キング牧師は、暴力を否定しない人種差別撤廃運動を主張するマルコムを

お互いに注意しあっていたのだと思われます。

マルコムはNOIに属していた頃には、キング牧師のような白人との融合を目指す黒人を「アンクル・トムのような連中」と侮蔑していた時期もありました。

白人たちはキング牧師に金を渡すことで
”黒人は無抵抗であれ”とキングに説かせている。

我々を愛さない相手(白人)とは交わる必要は無い。
政府側につく黒人牧師たちにダマされるな。
犬にかまれたら、その犬を叩きのめしてやれ!

しかし、やがて「無抵抗」と「非暴力の抵抗」の違いについて考え始めたそうです。

他方でキング牧師のほうも、マルコムの暴力も辞さない思想には全面的に否定する立場ではありました。

しかし、マルコムの簡潔で明晰な発言およびそのカリスマ性
これについてはキング牧師も注目しないわけにはいかず、彼に大きな親愛と敬意の念を持っていました。

マルコムXの「聖地巡礼」

1964年4月、マルコムはイスラム教の聖地であるメッカへ巡礼することを決め、エジプトのカイロへ発ちます。

イスラム教徒にとっては、メッカ巡礼は一度は果たさなければならない義務です。

メッカはイスラム教徒以外は入れない場所。
ジッダという町で審査を受けることになっていました。

しかしこの時、マルコムは正当なイスラム教徒として認められませんでした。
NOIはアメリカで発祥した宗教団体であり、まだ正当性を認定されていなかったのです。

困ったマルコムは、ジッダに住むオマール・アッザム博士という人物に連絡をとります。
マルコムは聖地巡礼を決めた際、アメリカを発つ以前にジッダに着いたらアッザム博士を頼ることになっていました。
アッザム博士は空港に飛んできて、すぐにマルコムを解放するよう指示しました。

マルコムの感じたアッザムの印象は、

  • 背が190センチほど
  • がっちりした体格
  • きわめて洗練された物腰の人物

であったそうです。

アメリカなら白人で十分に通るような皮膚の色だが、彼には白人の感じがまるでなかった

このように述べています。

正統派イスラム教徒は、肌の色を全く気にしないのです。

この態度にマルコムXは感激し、NOIから正統派イスラム教に改宗することになりました。

マルコムXは聖地メッカに行き、白人のイスラム教徒の優しさに触れた。
そこで、人種差別的発言を止めて改心したのです。

帰国後マルコムはある取材に対して、自らの心境をこのように述べています。

病と狂気の時は終わりました。
私はこれらから自由になったことを非常に嬉しく思います。
今は受難の時です。これを乗り越えることができたならば、全ては兄弟愛のおかげでありましょう。
この兄弟愛、人類愛こそがアメリカを救う唯一の手段です。
それは非常に困難な道だとわかりました。
しかし、私は救いの手段を知ったのです。

『マルコムX自伝』より

アメリカ帰国後のマルコムX

メッカより帰国後、マルコムはOAAU(アフロ・アメリカン統一機構)を設立します。

マルコムはこう考えていました。

アメリカでの人種問題はアメリカ政府の能力を超えている。
そのため、世界的・国際的な立場から、黒人独立と人種間平等を目指さなくては。
そのためには、アフリカ訪問をしなければならない。

しかしNOIはそんなマルコムを危険視し、命を奪おうとしていたのです。

1965年2月5日、マルコムはSNCC(学生非暴力調整委員会)の招きにより、公民権運動のデモをするアラバマ州セルマに赴きます。
セルマは公民権運動の中心的な地で、そうしたデモが法律で禁止されていました。

この運動を組織したのは当然キング牧師を中心とするメンバー。
マルコム訪問時にはキング牧師は、刑務所に入っていました。

「え、キング牧師が逮捕されてたの?」

そうなのです。彼は、わざと法律を破り、逮捕されているのです。

キング牧師が法律を破るデモを行う狙いはこうです。

「このデモによって多数の逮捕者が出ることにより、警察や刑務所の機能を麻痺させる」

そのため、多くの黒人は喜んで逮捕され、キングもその1人でした。

参考記事:不正な法律は破っていいのか? キング牧師の哲学

なので、マルコムXはキング牧師とは会えませんでした。
しかし、キングの妻コレッタが、マルコムXと会話をしたそうです。

その際マルコムの言葉は次のようなものでした。

キング博士に知っていただきたいのは、私は何もキング博士の運動を困難にしよう(邪魔しよう)としてセルマに来たわけではないことです。
もし白人たちが代わりのものが何かを知ったならば、彼らは博士の言う事にもっと耳を傾けるようになるでしょう。

『マルコムX自伝』より

 

「代わりのもの」とは非暴力の代わりになるものであり、それは暴力にほかなりません。

またマルコムは別の場所で、
「白人たちは黒人たちを抑えているキング博士に感謝するべきだ。というのも非暴力の方針に反対する黒人たちもいるのだから。」
とも言っています。

マルコムXの最期

このように、キング牧師とマルコムXは、方向性は違えど、互いに大いなる尊敬をもっていました。

そして、ついに手と手を取り合う日が実現しようとしました。
1965年2月21日、キングとの対談を2日前に控えたマルコムX。

なんとニューヨークでの講演中に、NOIのメンバーによって暗殺されてしまったのです。

しらせを受けたキング牧師。
彼は、自伝でマルコムについて以下のように追想しています。

マルコムもまた、社会の人種的不平等、抑圧、非人道的行為により生まれた多くの犠牲者の一人だった。
私たちは将来の偉大な指導者となったであろう人物を失ってしまった。
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参考にした本

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