宮崎駿最高傑作『風立ちぬ』主人公の堀越二郎。
零戦を開発した設計者であり、菜穂子との大恋愛に観客も涙、涙……
いやいや、話はそう簡単ではありません。
実はこの堀越二郎恋に奥手な純情野郎なんてものではなく、とんだ薄情者なのです。
しかし、それでもなお私たちは感動させられてしまう。
宮崎駿の仕掛けた残酷なメカニズムを覗いていきましょう。
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【風立ちぬ考察】なぜ堀越二郎の性格はクズで最低なのか。菜穂子よりお絹を好きな設定にした理由
堀越二郎は薄情者。シーンから読み解く性格
堀越二郎は作中、妹の加代から何度も「薄情者です」と言われます。
そのくせ、女性に対する自意識がすごく強いのです。
例えば、冒頭の不思議な飛行機で空を飛ぶシーン。
地面を歩いている男達は二郎の飛行機にも目もくれませんが、
遊郭にいる女性達や可愛い女の子達は、二郎に向かって一斉に手を振ります。
その後、可愛い女の子が出てくるシーンで二郎は必ず視線を女性に向けています。
二郎の初恋は菜穂子ではなく、お絹
大人になった二郎は汽車で東京へ向かいます。
その最中運命の相手である菜穂子と出会うわけですが、
この時もう一人の女性がいたのを覚えておりますでしょうか。
【ジブリ】風立ちぬの意味は?列車の中で菜穂子と二郎が話す外国語は何と言ってる?
それはお絹という菜穂子の家の女中さんです。
この人は関東大震災に二郎と一緒に巻き込まれ避難中に足をくじいてしまいます。
二郎はお絹さんを背中に背負って神社の境内まで避難させます。
その後、自分のシャツを水に浸してそれを絞って飲ませるなどかいがいしく面倒を見ているのです。
そして、その2年後、大学に二郎が渡したシャツと計算尺そして手紙が入った風呂敷が届きます。
二郎はこれを直接受け取ったわけではなく他人づてに受け取ったのですが、
二郎が校庭でて追いかけようとした時、脳裏に浮かんだのは菜穂子ではなくお絹の背中でした。
なぜ、この時頭に浮かんだのは菜穂子ではなくお絹だったんでしょうか。
アニメ映画は実写映画違って全てのカットが計算ずくで作られています。
偶然の入り込む要素は圧倒的に低いです。
わざわざお絹の背中を書いたということは何らかの意味があってしかるべきでしょう。
ここはシンプルに二郎の恋する相手がこの時点では、菜穂子ではなくお絹だったと解釈するのが妥当です。
であるにもかかわらず、二郎は再会した菜穂子に
「僕はあなたを愛しています。帽子を受け止めてくれた時から」
といけしゃあしゃあと言う訳ですが、ここまでの流れを見ればそれは嘘だとわかります。
もちろん、これは二郎がプレイボーイだったというわけではありません。
無意識についた悪意のない嘘だったのでしょう。
しかし、だからこそ余計にタチが悪いとも言えます。
菜穂子は菜穂子でスゴイ性格
では菜穂子はそんなことも知らない二郎の被害者だったのでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。
菜穂子は菜穂子でキツネです。
その証拠に二郎と再会し、雨の中パラソルを掲げてホテルへ向かう途中、
菜穂子はさりげなくお絹が結婚し二人目の赤ちゃんが生まれたばかりであることを二郎に話します。
意識的にか、無意識的に彼かはともかく菜穂子は二郎の初恋の相手がお絹であったことを悟っており、
別の恋人へのルートをこの会話で完全に叩き潰したのです。
二郎の愛するものは美しくあらねばならない
ではなぜ二郎は再会した菜穂子をこんなにも強く欲しがるのでしょうか。
答えは本人の口から語られています。
それは「綺麗だから」。
この台詞は二郎の口を通じて何度も何度も繰り返されます。
逆に言うとそれ以外の言葉は全く出てきておりません。
これは恋愛映画としてはかなり異色です。
普通はいくら外面的なものを謳っていても、
「やさしさ」「包容力」「理解」「芯の強さ」などといった精神的な要素を少しは匂わすものですが、
二郎は全く口にしないのです。
これはある意味とても恐ろしいことです。
なぜならば、「綺麗だから好き」裏を返せば「綺麗でなくなれば嫌い」ということになるからです。
初恋の相手がお絹さんだったのもこの理由からでしょう。
初対面の時の菜穂子は二郎からすると美しくなかった、
もう少し柔らかく言えば、若すぎた。
菜穂子が最後まで恐れたのも結局はここです。
彼女が恐れていたのは死によって二郎と別れることではなく、
病で醜くなることで二郎から捨てられることだったのです。
事実妹の加代は二郎の家に来た時に、「菜穂子が化粧をしていることに気づかないのか」といった趣旨で二郎をなじります。
二郎はあまりピンと来ていませんでしたが佳代の指摘は真実でしょう。
この指摘をわざわざ加代にさせるところに、宮崎駿の創作的な意図を感じます。
別にこの指摘は他のキャラクターでもよかったはずなのです。
例えば、同じ家に暮らしている黒川主任の奥さんとか。
わざわざ、加代を選んだ理由、それは彼女が美しくないからです。
美しくない加代はありのままの二郎が見えています。
だから「薄情者」という本質が付けるのです。
結論 【風立ちぬ考察】なぜ堀越二郎の性格はクズで最低なのか。菜穂子よりお絹を好きな設定にした理由
以上、堀越二郎が実は薄情だったということを中心に書いてきました。
しかしこれは何も宮崎駿の人の悪さをあげつらっているのではなく、
むしろ宮崎駿がこの残酷さ、エゴを描いてもなお美しく映画を仕上げたというところがすごいのです。
何度も述べているように二郎は美しいもののことしか考えていません。
作中零戦が戦争に使われていることに多少言及してはいますが、二郎が本気で悩んでいるようには見えないのです。
同僚の本庄は違います。
本庄は国が貧乏に喘ぎでいる中、戦闘機を作ることに矛盾を感じています。
一方二郎の方はと言うと、最終的な零戦のプロトタイプの発表の際に、
「機関銃がなければもっと簡単に飛べる」と真顔で制作チームに発言するなど、
戦争中にもかかわらず美しい飛行機を作ることで頭はいっぱいなのです。
菜穂子はそんな二郎を丸ごと愛しています。
菜穂子が現代の女性であれば「仕事と私どっちが大事なのよ」と言ってしまうところですが、
一言もそんなことは口にしません。
もちろん戦前の女性ですのでそんなあけっぴろげにはできないというところもありますが、
あくまで菜穂子は自分の美しさを武器にして二郎を振り向かせようとするだけです。
二郎が中途半端な天才で菜穂子のことも器用に愛せる男であったなら、おそらく零戦は作れなかったでしょう。
しかし、史実を基にしているとはいえ、あくまでフィクションなのですから、エンディングはいくらでもある訳です。
さすがに「菜穂子の病気が治って、零戦も空を飛んで万々歳」というのは無理が効きすぎですが、
そこまで行かずとも、
「零戦が飛び立った後、二郎が病院に駆け込み、菜穂子が死ぬのを看取る」くらいのことは許されるでしょう。
子ども向けアニメならそうしたかもしれません。
しかし、風立ちぬは大人向け。
「本物の天才を愛すると生きてる間は報われない」ということを示したのです。
↓生きている間とわざわざ書いたのは、ラストシーンが死後の話だからです↓
風立ちぬ最後の結末の意味をネタバレ。鈴木敏夫によるラストシーンの解説
以上、風立ちぬ 堀越二郎の性格はクズで最低? 宮崎駿の仕掛けた創作上の意図とは? でした!
次回、風立ちぬを見るときは、二郎の残酷さに注目してみてみましょう!
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風立ちぬは本当にすごい映画とのこと。
プロの舞台脚本家が、映画をどう評価するのか、どんな点を面白いと感じたのか、ぜひお読みください