タイトル「風立ちぬ」って何でしょう?
日本語なのに分かりそうで分かりません。
宮崎駿監督作品で初めて「〇〇の〇〇」(例:となりのトトロ)のようなタイトルでもなく、由来が気になるところ。。
そこで今回はタイトル「風立ちぬ」について調査。
劇中で二郎と菜穂子が話す謎の外国語とも関連があるようなのでそんなところも徹底追及します!
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【ジブリ】風立ちぬの意味は?列車の中で菜穂子と二郎が話す外国語は何と言ってる?
映画のタイトル「風立ちぬ」のルーツは?
そもそもタイトルである「風立ちぬ」とはどういった意味なんでしょうか?
タイトルの由来やルーツから探ります!
宮崎駿「風立ちぬ」の原作は漫画版「風立ちぬ」
まず、宮崎駿映画の「風立ちぬ」の原作は宮崎駿の漫画版「風立ちぬ」です。
こちらは「モデルグラフィックス」において2009年4月号から2010年1月号まで連載されていたもの。
映画化がされたのはその後の2013年です。
内容は映画版とほぼ同じ、唯一の圧倒的違いは主人公の二郎が「ブタ人間」であること。
紅の豚のポルコのような感じですね。
あと、小説家の堀辰雄をモデルにした犬人間も登場します。
漫画版「風立ちぬ」のモデル・ルーツは堀辰雄の小説「風立ちぬ」と「菜穂子」
原作のそのまた原作のような作品です。
宮崎駿は堀辰雄の小説「風立ちぬ」からタイトルと主に後半部分の展開。
そして同じく堀辰雄の小説「菜穂子」からヒロインの名前とエピソードの一部を拝借しています。
堀辰雄の「風立ちぬ」は本人の体験をもとに執筆された作品
主人公とヒロインは二郎と菜穂子ではなく「私とお前(節子)」です。
以下、Wikipediaの紹介文より引用↓
美しい自然に囲まれた高原の風景の中で、重い病に冒されている婚約者に付き添う「私」が、やがてくる愛する者の死を覚悟し見つめながら、2人の限られた日々を「生」を強く意識して共に生きる物語。
死者の目を通じて、より一層美しく映える景色を背景に、死と生の意味を問いながら、時間を超越した生と幸福感が確立してゆく過程を描いた作品である。
宮崎駿の「風立ちぬ」。二郎と菜穂子の夫婦間はまさにこの小説がベースになっているとも言えます。
堀辰雄の「風立ちぬ」のタイトル由来は作中にアリ
まずは、風立ちぬ第一章「序曲」の冒頭をご紹介致します。
それらの夏の日々、一面に薄すすきの生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった。そうして夕方になって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、それからしばらく私達は肩に手をかけ合ったまま、遥か彼方の、縁だけ茜色あかねいろを帯びた入道雲のむくむくした塊りに覆われている地平線の方を眺めやっていたものだった。ようやく暮れようとしかけているその地平線から、反対に何物かが生れて来つつあるかのように……
そんな日の或る午後、(それはもう秋近い日だった)私達はお前の描きかけの絵を画架に立てかけたまま、その白樺の木蔭に寝そべって果物を齧かじっていた。砂のような雲が空をさらさらと流れていた。そのとき不意に、何処からともなく風が立った。私達の頭の上では、木の葉の間からちらっと覗いている藍色あいいろが伸びたり縮んだりした。それと殆んど同時に、草むらの中に何かがばったりと倒れる物音を私達は耳にした。それは私達がそこに置きっぱなしにしてあった絵が、画架と共に、倒れた音らしかった。すぐ立ち上って行こうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさせていた。
風立ちぬ、いざ生きめやも。
ふと口を衝ついて出て来たそんな詩句を、私は私に靠もたれているお前の肩に手をかけながら、口の裡うちで繰り返していた。それからやっとお前は私を振りほどいて立ち上って行った。まだよく乾いてはいなかったカンヴァスは、その間に、一めんに草の葉をこびつかせてしまっていた。それを再び画架に立て直し、パレット・ナイフでそんな草の葉を除とりにくそうにしながら、
「まあ! こんなところを、もしお父様にでも見つかったら……」
お前は私の方をふり向いて、なんだか曖昧あいまいな微笑をした。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/4803_14204.html
「風立ちぬ、いざ生きめやも
ふと口を衝ついて出てきたそんな詩句を~」とあります。
そう。
タイトルになっている「風立ちぬ」は詩句の一説。
こちらの詩句はフランスの詩人「ポール・ヴァレリー」の『海辺の墓地』の一節
「Le vent se lève, il faut tenter de vivre.」を堀が訳したものなんです。
ポール・ヴァレリーの詩句の訳「風立ちぬ、いざ生きめやも」の意味とは?
訳されて日本語にはなってるものの現代使っている言葉じゃなくて意味が分からない…。
ってことで解説致します。
現代風に訳すと「風が吹いた。さぁ生きようか。」の意味
これ、分解して説明すると以下↓のようになります。
「風立ちぬ」の「ぬ」は過去・完了の助動詞で、「風が立った」の意である。
「いざ生きめやも」の「め・やも」は、未来推量・意志の助動詞の「む」の已然形「め」と、反語の「やも」を繋げた「生きようか、いやそんなことはない」の意であるが、]「いざ」は、「さあ」という意の強い語感で「め」に係り、「生きようじゃないか」という意が同時に含まれている。
ヴァレリーの詩の直訳である「生きることを試みなければならない」という意志的なものと、その後に襲ってくる不安な状況を予覚したものが一体となっている。
また、過去から吹いてきた風が今ここに到達し起きたという時間的・空間的広がりを表し、生きようとする覚悟と不安がうまれた瞬間をとらえている。
この言葉、堀辰雄オリジナルと言っても良いほど複雑に訳されているんですよね。
ヴァレリーの直訳だけならば「風が立った。生きることを試みなければならない。」
になるんですが、これを「いざ、生きめやも」と訳されたことでだいぶニュアンスが変わって来るんですよね。
なので現代風に訳した「風が吹いた。さぁ生きようか。」がベストなニュアンスであるのかも少し微妙なところではあります。
「生きなければ」という意識的な覚悟と同時に生まれた不安がこの言葉に詰まっているようです。
ちなみに原文である詩句“Le vent se lève, il faut tenter de vivre.”の対訳表はこちら↓
フランス語 |
英語 |
日本語 |
Le vent |
the wind |
風 |
se lève |
get up, pick up |
起きる。起こる |
il faut |
it must |
~しなければならない |
tenter de |
try to |
試みる |
vivre |
live |
生きる |
列車の中で菜穂子と二郎が話す外国語は何と言ってる?
これってタイトルと関係があるのか疑問ですよね。
しかし、これまさに前述した詩句が大きくかかわってくるんです!
菜穂子と二郎が掛け合った言葉はフランス語!そしてこれこそヴァレリーの詩句!
気づくとなるほど~!の展開。
2人が何やら外国語で掛け合ったシーン覚えていますか?
列車の接続部分で二郎の被っていた帽子が飛び、菜穂子がバランスを崩しながらキャッチ!
二郎がその帽子を受け取る際に
菜穂子「ル ヴァン スレーヴ」
そして帽子を受け取った二郎が答えます。
二郎 「イル フォ トンテ ドゥ ヴィヴル」
聞き取りづらいですがカタカナで書くとこのように言っています。
これぞまさにヴァレリーの詩句である
菜穂子「Le vent se lève」訳:風が吹いた
二郎「il faut tenter de vivre.」訳:さぁ、生きようか
になるわけですね!
堀辰雄の小説にあるヴァレリーの詩句がここで登場するとはオシャレ!
そして宮崎駿の「してやったり感」が凄い。笑
ジブリ映画での「風立ちぬ」とはどんな意味?風が吹くシーンから考察!
タイトルのルーツや堀辰雄の小説での「風立ちぬ」の意味に関しては分かりましたが、宮崎駿監督は一体どんな意味合いを持たせているんでしょう?
実際に劇中で風が吹くシーンなどから考察したいと思います!
列車で菜穂子と出会った時に風が吹いている
実際は風というより走る列車の外に出てるので自然と起こってしまう風圧なんですけどね。
しかしこの風が菜穂子との出会いのキッカケにもなっているわけです。
二郎の帽子が飛んで菜穂子がキャッチしなければ恐らくその後の展開もなかったでしょう。
戦闘機のテストで風が吹く
幼いころから飛行機に憧れていた二郎は飛行機の開発会社に就職します。
仕事に懸命に打ち込んだ二郎は入社5年目で戦闘機開発のチーフになり設計した飛行機を飛ばすことになるんですが
このテスト飛行時にもそこそこの風が吹いています。
結果的にテストした飛行機は空中分解してしまって二郎は初の挫折を味わいます。
避暑地のホテルで風が吹く
挫折を味わった二郎は避暑地のホテルで休養を取るんですが、
ここでまたもや風が吹いた時に偶然同じホテルに泊まっていた菜穂子のパラソルが飛び、そのパラソルを二郎が取ったことで奇跡の再会を果たします。
その後も菜穂子と紙飛行機のやり取りをするときの風によってグンと二人の仲が縮まるんですよね。
夢の中で風が吹く
夢の中でカプローニ伯爵と出会うときは常に風が吹いています。
そして戦争の描写などでも不気味な風が吹いていますよね。
二郎の夢の中は必ず飛行機と風がセットになっています。
劇中に吹く風は二郎の全てのキッカケと心情を表している
つまりタイトル同様に「風」がテーマになっている本作品。
良いキッカケも悪いキッカケも全てに風が吹きます。
人生の追い風と向かい風のようなものですね。
良い時には爽やかな風が吹いているように見えますし、悪い時には不気味で激しい風が吹いていたり・・・
わざわざセリフで説明されていない細やかな心情が風によって表現されているように思います。
タイトルの「風立ちぬ」と劇中に吹く風。
そしてポスターに記されたキャッチコピー「生きねば」と「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて」。
ここに宮崎駿の作品に対する愛情と堀越二郎、堀辰雄へのリスペクトがギュッと凝縮されています。
宮崎駿「風立ちぬ」以下、概要
かつて、日本で戦争があった。
大正から昭和へ、1920年代の日本は、不景気と貧乏、病気、そして大震災と、まことに生きるのに辛い時代だった。
そして、日本は戦争へ突入していった。当時の若者たちは、そんな時代をどう生きたのか?
イタリアのカプローニへの時空を超えた尊敬と友情、後に神話と化した零戦の誕生、薄幸の少女菜穂子との出会いと別れ。
この映画は、実在の人物、堀越二郎の半生を描く。
生きねば。
まとめ:風立ちぬの意味は「風が吹いた。」列車で話していた外国語はヴァレリーの詩句原文だった!
#明日夜9時 から放送の「#風立ちぬ」の特別動画をお届け✈️
カプローニ🎩「飛行機はうつくしい夢だ 設計家は夢に形をあたえるのだ」
二郎👦「はいっ」少年・二郎が「美しい飛行機を作る設計家になる」という夢を持った瞬間の笑顔がとてもキラキラ✨可愛くもあり💖素敵カナ🐾😊 pic.twitter.com/YFxJ2cqoXa
— アンク@金曜ロードSHOW!公式 (@kinro_ntv) 2019年4月11日
「風立ちぬ」というタイトルは堀辰雄の小説から。
そしてその小説にある一説の詩句に深い意味が込められていました!
- 映画のタイトル「風立ちぬ」のルーツは?
- ポール・ヴァレリーの詩句の訳「風立ちぬ、いざ生きめやも」の意味とは?
- 列車の中で菜穂子と二郎が話す外国語は何と言ってる?
- ジブリ映画での「風立ちぬ」とはどんな意味?風が吹くシーンから考察!
劇中での二郎と菜穂子の少し聞き取りづらい外国語がまさかタイトルのルーツとなる詩句だったとは洒落た演出です。
宮崎駿の「分かる人だけ分かれば良い!」って言う自己満感も見て取れますよね。笑
以上「【ジブリ】風立ちぬの意味は?列車の中で菜穂子と二郎が話す外国語は何と言ってる?」でした!
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