哲学書はなぜ難しいのか―幸福の観点から

      2017/02/10

哲学書は、一般的に難しいというイメージがあります。そして事実、軒並み難しいです。
今回は哲学書はどうして難しいのかについて考えてみました。

哲学への期待・・・不安定な社会・不安定な人生に対する指針

不安の時代では、生き方への指針を求める人も多いでしょう。そのせいか、一方で、書店やインターネットでは小さな「哲学ブーム」のようなものもあります。ビジネス雑誌に「ビジネスマンが読むべき哲学書50冊」などと特集が組まれたり、ライフハックのようなブログにも、哲学おすすめ本のような記事が見つかります。

中にはそういった特集でおすすめされた本を実際に購入してみる方もいるかもしれません。(岩波文庫なり、講談社学術文庫なり、ちくま学芸文庫なり。)

しかし、実際に哲学書をひも解いてみて、何かが「わかった」という気持ちになることは、まずありませんよね。その結果、哲学というものをわかったような気にさせてくれる絵入りの哲学入門の類や、名言集などが売れます。

しかし、哲学とは「生活をよくする情報」としてインプットすることに適しているのでしょうか?

むしろ、難問の中に私たちを投げこむ学問なのではないでしょうか?

プラトン『ゴルギアス』に見る、哲学と幸福との激しい対立

プラトン『ゴルギアス』という対話篇(哲学書)の終盤では、政治家志望の有望な若者カリクレスとソクラテスの対話が展開されています。

若き優秀な政治家カリクレスは、こんなことを言います。

若いうちに教養として哲学を学ぶのは自由人に相応しいが、一生を賭けて「真実とは何か」「正義とは何か」を追求するのは馬鹿げている。そんなことをしていたら、無一文の役立たずになってしまうからである。

カリクレスのこうした言葉は、明らかにソクラテスへの挑戦です。

こうした挑戦の背景にある問題は「幸福」をどのように考えるか、にあるように思われます。

カリクレスによれば、一番幸せなのは、相手に不正を働くとしても、それが決して咎められずに悠々自適の生活をすることです。

しかし、対話相手のソクラテスは「それは違う」といいます。なぜなら、不正はそれ自体醜く、耐え難いものであるから、と述べてます。

 カリクレスも「不正は醜く、耐え難い」こと自体には、同意せざるを得ません。誰であれ、他人の不正は「悪いこと」「やってはいけないこと」として非難せざるを得ないでしょう。だから、先述のカリクレスの論理はソクラテスへの挑戦の意味が強く、最初から破綻しているのは明白なのです。

しかしそれでもカリクレスが自らの主張に固執せざるを得ないのは、「不正は醜く耐え難い」という「原則」を順守すると、現実の生活が全く成り立たなくなるという点にあります。なぜなら、ソクラテスという男は、「不正を行うよりも、不正を受けるほうが遥かに良いことだ」と主張を始めるのです。これにカリクレスはキレたのです。全くカリクレスという男は正直で明晰な知性を持つ男です。

 したがって、カリクレスにとってはあくまで「不正を働きながら、それをとがめられないこと」が最も幸福、ということになります。 しかしソクラテスはあくまで「不正は醜く耐え難い」という原則に固執します。

果たして、この原則とは、自らを無一文にしてしまうとしても、他者の不正によって大きな損害を被ってしまうとしても、守らなければならないのだろうか? ここに若き政治家カリクレスと、ソクラテスの激しい対立の核心があるのです。

常識的な通念で考えれば、このような原則は、厳格に現実に適用すべきではないことは明らかでしょう。つまり、私たちの生活とは、この正義と不正の原則を掲げつつも、「ウソ」や「方便」によって都合よく調整しているのです。つまり、私たちは、多かれ少なかれ、カリクレスの生を生きています。しかしそれは、結局この世を快適に暮らしたいということ以外に中身のない、ゆめまぼろしのような生ではないでしょうか?

だから、ソクラテスのように「論理を突き詰める」という態度の根底には「確たる原則にのっとって生きるべきだ」という確信があることがわかります。そして「ある原則にのっとり自らの生を一貫させる生き方」とは、人間が真に偉大な存在となる生き方であるように思われます。

しかし、そのような生を生きられるのは英雄と呼ばれるに値する人間だけではないでしょうか? このソクラテスの要求は、私たちが求める「幸福」という概念とは著しく異なっている。それどころか激しく対立しているようにも思われます。

カントの『実践理性批判』

 幸福というテーマについて近代の最大の哲学者カントも論じています。端的に言って、カントは善と幸福を切り離しました。

人間が為すべき善は「義務のための義務」であるべきで、幸福であってはならない。なぜならば、幸福とは何かは人それぞれで普遍的な原則となるようなものではないからだ。幸福が目的であるとしたら、人間存在の尊厳は保証できない。

このようにカントは考えました。幸福という恣意性を行為の原則から一切排除すること、普遍的に妥当することのみを格率として掲げることをカントは提案します。

この態度にはカントの謙虚さが表れているように思えます。というのも、プラトンはソクラテスが本当に幸福であると確信していただけでなく、人間はすべてそうあるべきだと考えていました。すなわち、人間の真の幸福は哲学することにあるのだ、と。しかし、このプラトンの確信は現実の前になるといつも敗れてしまいます。

 一方カントは、プラトンのように「幸せになりたいのなら哲学するべきだ」とは言いません。カントは「人間は何を問うことが許されるのか」と問うています。カントは人間存在の尊厳の根拠を人間に可能な仕方で問うことだけを問題としまました。そしてそれ以上のことを人間に期待しなかったのです。

おわりに

ここまでプラトンの『ゴルギアス』という対話篇に見る、カリクレスとソクラテスとの生き方の対立。そしてカントにおける幸福の恣意性について見ていきました。

カントにせよ、プラトンにせよ、彼らの言っていることが常識から言って途方もないことであることは間違いありません。それゆえに哲学は難しいのだと思います。したがって、哲学書も難しいし、世の中を生きていく上ではカリクレス的な生を生きていけば事足りるのであり、その限りでは、カリクレス自身が述べているように「哲学は若いうちにするのはいいけれども、年をとってからもいつまでも哲学のことを考えているような親父がいたら、ぶん殴ってでも目を覚まさせるべき」なのです。しかし、哲学のそんな途方もないテーマを扱うという特徴に魅力を感じ、カリクレスに殴られてでも哲学に身を捧げたいと思う人間は、時折いるように思われます。

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